1度だけでも辻内崇伸に1軍で投げさせたかった。
こういうことになるのだったら、1度だけでも辻内崇伸に1軍で投げさせたかった。
大阪桐蔭高校-巨人 投手 左投げ左打ち 身長184cm
【 辻内崇伸の略歴 】
1987年
12月5日、奈良県川西町生まれ。
1994年
小学1年で野球を始める。
中学1年から投手専任となる。
2005年
夏の甲子園ベスト4。
球場表示球速152キロを記録。
2回戦藤代戦で19奪三振大会タイ記録。
週刊ベースボール(ベースボールマガジン社)2005年9月5日号に、高校生辻内崇伸の投球フォームが連続写真分析で掲載されている。
当時横浜の押さえ投手だったクルーンがインタビューに応えている。
「見た感じでも、プロ野球選手よりもスピードが出ていたし、しかもレフティーだからね。すごく恵まれた素質を持っていると感じたよ。これからも順調に育って、早くプロの世界で活躍できる投手になってもらいたいね」
やがて、巨人でチームメイトなる二人。
辻内崇伸が8回までそこそこに押さえて、9回はクルーンが締める。
剛速球リレーの実現は確実と思われた。
2005年10月、高校生ドラフト会議で巨人、オリックスが1巡目で重複指名。
甲子園ナンバー1左腕と言われた割りに、入札が2球団とは意外だった。
オリックス中村GMが勘違いしてガッツポーズをしたため、一度はオリックス指名会見。
その後、巨人の選択が判明して、1日に指名会見を違う球団で2度やるという最初で最後の選手となった。
プロ初登板は2006年 4月8日。
イースタン・リーグ日本ハム戦。
先発で5回を投げ、3失点11奪三振6四球。
2軍とはいえ、プロ相手に5回で11奪三振は多い。
序章に過ぎないと思われた好スタートだが、結果的にはこれが最高の輝きだったのか。
2006年4月26日、初のリリーフ登板でイースタン・リーグ初勝利。
シーズン終盤には、顔見せで一軍昇格があるかと思われたが、9月27日よりハワイでのウィンターリーグに参加。
一年めの一軍昇格はなくなった。
そんじょそこらの投手じゃないよ。
でっかく育てて、2年めから僕らをあっと言わせる気だな?
巨人ファンは、球団の意図をそう汲んだ。
ところが、2007年に左ひじを故障して手術。
2011年には、入団時「15」だった背番号が「98」になった。
先日、プロ初勝利を挙げた阿南が「99」をもらった時「後がない」と感じたように、辻内崇伸のここからに期待した。
2012年8月、初めて出場登録(一軍昇格)
しかし、チームは好調。
初登板という試験的な起用ができる局面がない。
結局、登板機会が訪れないまま登録抹消された。
この時、1試合でも大差でビハインドを負うゲームがあれば・・・
2013年3月、再び左肘手術
2013年10月1日、戦力外通告を受けた。
「実は巨人ファンでした」
やり直し指名会見で、記者をどっと沸かせた時のあの笑顔が、ずっと目に焼き付いている。
1軍でテレビに映らないので、今も辻内崇伸は笑っている顔しか浮かばない。
まだ若い。
これからは、笑顔の似合うサラリーマンとして、どこかの町で汗をかくのだろう。
彼のような気持ちのいい青年が相手ならば、大人の誰もが
「まぁ、お茶でも飲んでいけよ。
注文?まぁ、どーんとハンコ打つよ!」
と言ってくれるはずだ。
あ、セールスって決めてるし(笑)
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