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2014年6月21日 (土)

小倉で迷子になった

小倉で迷子になった
まだボクが小学校3年生の時だ。

家族は休日になると、スバル360に乗って下関や小倉に買い物に出かけた。
父は運転するのが三度の飯より好きで
と本人の口から聞いたわけではないが、多分そうで、あの狭い居室の軽自動車でよく遠くへドライブに連れて行ってくれた。

人口1万人に満たない盆地の町にも、スーパーマーケットは2軒あったのだが、デパートはさすがにない。

デパートと言ってもブランド品を見るとか、地下の名産品を買うといったことではないのだが、ただ、上から下まで巡回したのを覚えている。

その日は、電車での移動だった。
お盆で下関の親せきに長期停泊していて、大丸やニチイにも飽きたので、よし今日は電車で小倉に行こうと言うことになったのだ。

わたしの記憶が確かならば・・・
下関から関門トンネルをくぐって門司に停車。
その次は小倉という快速電車に乗っていく。
その所要時間は14分だった。

下関から小倉まで車で行くと2時間はかかった(当時は関門橋がかかる前で、高速道路がなかった)
それが電車で行くとわずか14分で着いてしまうというのは、子供心にとても不思議だった。

小倉駅から丸栄(のちにユニード)までは徒歩だったと思う。
小倉でバスに乗った記憶は、社会に出てからの1度きりであるし、当時は乗った記憶がない。
タクシーに乗るような上流階級ではない。
ということは、消去法的に徒歩なのだが、丸栄までどうやって歩いたかは覚えていない。
それが普通だ。
何十年も前のある休日の移動経路を覚えている方が特異だろう。

ところが、丸栄から小倉駅への道はよく覚えているのだ。
母と姉、そしてボクの3人は丸栄探索を食料品売場の買い物で締めて、駅をめざしている。

天候はくもり。
今のように、給水しないと倒れてしまうほど暑いこともない。
その手には、丸栄で「一人50円」という巨額の予算で買ってもらったお菓子の紙袋が握られている。
そのうち29円はかっぱえびせんだ。

かっぱえびせんは一世を風靡したお菓子であり、定価という言葉がまだあった時代に50円で売られていた。安売りとなるとそれが42円、39円ということはあったのだが、29円にはめん球が飛び出るかと思った。借金をしてでも2つ買っておけば・・・
と今ならば思うのだが、当時そんな教育は受けていなかった。

日頃、秤にちり紙を置き目方を量って兄弟で分け合う「50円のかっぱえびせん」を、独り占めにできる。
その高揚感はボクの歩幅を広くした。

にわか造りの小屋が並ぶ川沿いの道を抜け、橋を渡り、駅前へとつづくアーケードにやって来た時、母と姉の姿が見えないことに気づく。
日曜日の小倉は人出が多い。
まだ背が低いボクの視界からは、俯瞰して捜すことができない。

いつもならば、親が運転する車の後部座席に乗っていれば目的地へ着く。
だが今日は不案内な小倉に一人きり。
誰に頼ることもできない不安と、置き去りにされた悲しさで、やがて涙が出た。
声を出して泣きわめいた。
鳴きながらきょろきょろと首を振って歩いた。

すると、身長160cmくらいのキレイなお姉さんが
「どうしたの?」
と声をかけてくれた。
事情を聞くと、お姉さんはボクの右手を引いて、小倉駅に向かって歩き出した。
目的地に近づいたほうが、保護者が見つかる確率が高いと思ったのか、
それとも駅前には交番があったのか。

ボクは泣き止んだ。
しばらく歩いていると、左前方から、のぞきこむようにして母親の姿が現れた。
その後ろに姉が居た。

あぁ助かった。

母はキレイなお姉さんにお礼を言って、お姉さんは小倉駅の方へと歩いて行き、すぐに見えなくなった。
少し、いやかなり名残惜しかった。

下関に戻ると、親戚のおばちゃん達が
そりゃぁ、大変じゃったねぇ
せんなかったろぉ
と労ってくれた。

一時はどうなるかとおもうた。三時やったけど

ボクはその頃すでにどんな時でも、人を笑わせようと狙っていた。

いやぁ大変な惨事やった。

とボクがたたみ掛けると、ケーキ作りが得意なおばちゃんが
あんたおもしろいねぇ
と賛辞をくれた。

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