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2014年6月 5日 (木)

【 新説 】 田舎は他人との距離が遠い

田舎は他人との距離が遠い
都会は他人との距離が近い

これが、2013年夏に佐世保で見つけた仮説だ。

逆じゃないのか?
と思うだろう。

恐らく、そう思った方が言っている"距離"は「心の距離」である。
都会は殺伐としていて、人と人のふれあいが少ない。
といった場合「都会は他人との距離が遠い」と言えるだろう。

田舎は他人との距離が遠い

その仮説を見いだした瞬間は、佐世保市営バスに乗った時だ。
整理券をとって、バスに乗り込んだ僕は空席を探す。

1人掛けは前方左側に3つ。
すべて埋まっている。

後方を見やると、誰もが2人掛けに1人で座っている。
そこで、一番近かった男子高校生が座っているとなりに滑り込もうとした時だ。

え゛~ 座るのかよ
と言わんばかりに、どん引かれたのである。

確かに座席の横幅が狭い気はするが、ここは2人掛けだ。
空いているのだから、座る方が普通だ。

次のバス停では、3人の客が乗ってきた。
レジ袋を抱えたおばさん。
部活帰りの男子高校生。
四ケ町帰りの中学生。

すると、3人はいずれもつり革につかまり、座らない。
結局、バスを降りるまで2人掛けに2人で座っていたのは、僕らの席だけだった。

帰省中6回バスに乗ったところ、西肥バスでも市営バスでも状況は同じ。
「バスでは2人掛けは1人で座るものとする」
まるで、条例でそう決まっているかのようだ。

誰かと袖ふれ合うくらいならば、座らないで立っていた方がマシ。
田舎の人達はそう考えているようだった。

東京では、こんなことはない。
2人掛けの席には2人が座っている。

となりに誰も座らせないよう「自分は横幅が大きいのだ」と言わんばかり、窓際に微妙な距離を空け通路寄りに座るやつはいる。
だが、たいがいの人は「座れるものならば、どうぞ」と1人分のスペースを空けていて、そこにカラダを折りたたむようにして、後から来た人も座る。

狭い場所に大人2人なのだから、肘を動かせば当たる。
だから、座る前にケータイや文庫本はカバンから出して手に握って置く必要がある。

そこは公共交通機関。
狭いのは仕方のないことだと、誰もが心得ている。
満員電車でカラダが密着し身動きもとれないことを思えば、どうってことはない。

都会は他人との距離が近い。
それは、一定面積に対する人口密度が高いのだから、物理的に自明の理と言える。


狭いスペースを分け合って座るバス。
カラダの距離は近い。
昔の人は「袖触れ合うも多生の縁」と言った。
では、心の距離はどうか?


そういう問題意識を持ってバスに乗っていた時、袖ふれ合いながらも「口のない人」がいることに気がついた。

つづく

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