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2014年6月 6日 (金)

口はないのか?降りますと言わない都会の人たち。

PASMO定期をかざしてバスに乗り込んだ僕は、空席を探す。
1人掛けは大半が障がい者優先席、または車いす・ベビーカー対応席だからパス。
2人掛けの通路側、空いている席に座る。

おじさんや若者は会社で威張れないためか、「どうだ!」と2人分の席を占有している。
そんなに自由に振る舞いたいならば、タクシーで通え!
割安な公共交通機関を使っておいて、でかい面をするとは底が浅い。

一般的におじさんよりもおばさんのほうが横幅が狭く、空いているスペースが大きいので、おばさんのヨコに座ることが多い。

バスは住宅街を走り、やがて、となりのおばさんが降りるバス停にやってきた。
もちろん僕は、となりのおばさんがどこで降りるかまで把握していない。

バス停にバスが停まる。
すると、なんだか様子がおかしい。
となりのおばさんが、ぴょこぴょこと屈伸運動をしているのだ。

体幹でも鍛えているのか?

と思ったら、おしっこでも漏れそうな困った顔になって、半分立ち上がる。

降りるなら「降ります」と言えばいいじゃん。
「すみません」でもいいし。
文字数でわずか4つか5つではないか。

以下は、窓側に座った客の態度を書き留めたものだ。

50代女
無言で体を揺する

20代男
無言 腰を浮かせて「場を読め」とばかり、こちらをにらみつける

50代女
にこりと笑って「降ります」

40代女
小声で「すみません」

30代女
「どうだ」と降りますボタンを押したが無言で、こちらが察するのを待つ

50代女
無言で出口方面をみて、困り果てた顔をする

50代男
「すんません」と手刀を切って降りる意志を伝える
*アームムーブメントを伴ったのは1人だけ

30代女
無言。ひざの前の隙間を強引に通って降りていった。

都会は他人との距離が近い
だが、完全に他人を遮断しており、心の距離は遠い。
昔の人は袖触れ合うも多生の縁と言ったが、都会の人は違う。

しかたなくカラダはぶつかるけれど、心には結界がはられている。
そういえば、駅のコンコースで足を踏んだり、肩をぶつける人は多い。

心の通わぬ肉の塊
閉じこもった境界の向こうで、いったい、なにを守りたいのか。

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