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2014年9月27日 (土)

長文失礼します

長文失礼します

という始まりのメールが届く。
だが、それは必ずしも失礼とは限らない。

いや「長文失礼します」という書き出しで始まるメールは、むしろ歓迎したいメールだ。

「長文失礼します」メールは、テーマが変遷している。
私生活のできごと、職場で起きたこと、最近読んだ本・・・
1つのテーマについては、むしろ手短。
すぐに改行されて、次のテーマへ。
それは小説家から送られて来た短篇集のようだ。

「長文失礼します」メールは、ストーリーが展開していく。
事件が起きて、自分はどう思い、どう行動した。
でも結果的にそれによって、自分は新しい見識を得た。
ただ愚痴るのではなく、怒りのエネルギーをまき散らすでもなく、ユーモアを交えて語られる。
起承転結に、一読者として引き込まれていく。

そんな長文は楽しい。
好きな人から来た手紙は、いつまでも終わらないで欲しい。
読み進むと、スクロールバータグが画面下に近づいていく。
レールの残りがわずかになる。
あぁ、終わってしまうんだな。
これが、最後の章かな。
一言一句を大切な宝石のように読む。

人気作家がエッセイで「長文失礼します」とは言わない。
シンパシーのある仲間から届くメールで、長文は歓迎だ。
むしろ、短いメールの時には「短文失礼します」と言って欲しいくらいだ。

世の中には一方的な意見、抗議をとりとめもなく、長文で書いてくる人もいる。
ただ、そういう失礼な人は自ら、非礼を認めない。
そういうメールは「長文失礼します」とは始まらない。
私の率直な気持ちを書きます。
私の純粋な思いを書かせていただきます。
こんな具合だ。

「自分のことばかりでスミマセン」
と謝る人もいる。
だが、謝る必要はない。
相手は自分がどう過ごしているか、何を考えているかを知らない。
自分が書くメールは相手の知らないことを書くのが当たり前だ。

私の名前はmotoです。男です。日本に住んでいます。
という既知のことでは、情報としての価値がない。

「あなたのことばかりでスミマセン」
と謝って、あなたは昨日渋谷で飲んだでしょう。●●党を応援していますよね。
と言うメールが来たら怖い。

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