父が転校を告げた光景
ある春の日の午後
その日父がどこに連れていこうとしていたのか覚えていない。
すでに学校は春休みに入っており、父は家にいた。
助手席に乗り、運転席の父が話す言葉を聞いている。
その向こうには田舎の町並みがつづいていた。
ずっとスバル360ばかり3台を乗り継いだ父が初めて買ったセダンタイプのクルマ。
小学校も高学年にさしかかり、体が大きくなり初めていた僕は、以前より少し広くなったクルマを歓迎していた。
それは面白みのないクルマであり、クルマ好きの父がどのような気持ちでこのクルマを選んだのか、わかりづらい。
ただ、当時その理由を考えたことはなかった。
田んぼが途切れて、ぽつりぽつりとガソリンスタンドや友だちの家が車窓に流れ始める。
やがてクルマは小さな町の中心部にさしかかり、左手にバス会社の発着場、右手に友だちの家が営むうどん屋とスーパーまるとみが見えた時、父が言った。
今度、転勤することになった。
それは、数年来恐れていた一言だった。
いずれ、転校があるのだろう。
できれば、ずっとそういう状況にならなければいい。
そのことを考えると気持ちが沈んだ。
だから、そのテーマは心の底に封印していた。
学校の先生に転勤があることは、毎年春になると先生が転任してくることを見ればわかる。
いずれ教諭の父にもその機会が訪れるだろう。
きっと、それは遠くの町だ。
その時、その扶養家族である自分が一緒に引っ越すことは自明である。
父の転勤は、すなわち自身の転校を意味した。
転校するんよね?
万が一にも、自分だけはその難を逃れるという可能性はないと観念している。
それは咄嗟に出た、ごく自然な質問だ。
あぁ
短いことばで父が答える。
家族の絆こそが掛け替えないもの
そう気づくのは、大人になって親が老いる頃の話し。
子どもの世界は学校の教室を中心に回っている。
春休みに入る前に言ってくれれば・・
せめて、終業式に間に合っていれば「反省会」で教壇に立てた。
ホームベースのような五角形の骨格を持つ初老の担任が紹介する。
「こんどmotoくんが遠くに引っ越すことになった」
え゛~っ
(これが聞きたいだけかも知れない)
「じゃ、みんなにお別れの挨拶をしなさい」
沈痛だが、達観した面持ちで、それに応える。
ただいまご紹介にあずかりましたmotoです。
この度、教育委員会の命をうけ、父が転勤することになりました。
とても残念ですが、私もこの学校を去ることになりました。
仕方のないことです。
思いおこせば、前に住んでいた町で幼稚園がつぶれて、年長からこの町に来て、皆さんと出会って5年。
たくさんの思い出ができました。
僕にいじめられて泣いた女性の皆さん。すみませんでした。
決して悪気はなかったのですが、若気の至りでいたずらな気持ちを抑えることができませんでした。
そんな伝説に残る「小学生による転校の挨拶」をする機会が奪われたことは、とても残念だった。
というのは、今思ったことであり、その時はただ、友だちとの別れが悲しかった。
そして今、長期記憶を揺り起こしても、あの日、父がどこに連れて行く途中だったのかわからない。
当時、2人きりでドライブをしたという記憶はないし、スーパーに仮面ライダースナックを買いに連れて行く。
そんなマイホームパパでもなかった。
父はあの日、友だちにお別れも言えず、この町を去ることになった我が子を不憫に思い、どこに行くでもなく外に連れ出したのかも知れない。
大切なことを父の口から直接聞いた。
言葉を聞いたその光景を、今も覚えている。
父さん、きちんと話してくれてありがとう。
→しらべる
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