ひとり暮らしを始める時に親を思う
大学生活の写真アルバムは佐世保駅で撮った一枚から始まっている。
博多行きの電車に乗った僕をホームから後輩が撮っている。
いまこの写真が僕の手元にあるということは、後輩が郵便で送ってくれたのだろう。
電車は窓が開いている。
いくら昔とは言え、特急の窓は開かなかったはず。
特急料金を惜しんで、普通の電車・自由席で行ったのだろう。
高校生活では町に出る時は制服着用が義務づけられていた。
ほとんど私服というものを持たなかったため、誰が見ても田舎ものとわかる垢抜けない姿。
坊主頭が伸びただけの髪型。
顔は笑っている。
後輩との別れを惜しむ寂しさはにじんでいない。
見送りに来てくれたのは、文化サークルの後輩たち。
この日、父は仕事だっただろうが、専業主婦の母が見送りに来ていた記憶はない。
「後輩が来るからいいよ」
僕が断ったのかも知れない。
社会人になってからは、帰省の度にいつも佐世保駅まで見送りに来ていた母のこと。
この時も見送りたかったのではないか。
兄弟が順番に出て行き、末っ子の僕が家を出て、父と母は二人きりになった。
さみしかっただろう。
この写真で呑気に笑っている田舎者は、両親の気持ちに思いも及ばなかった。
これから始まる大学生活に不安はほとんどなく、博多という生まれて初めて住む大都会での一人暮らしに期待だけがあった。
博多に着いた後も、着いたよの電話ひとつかけた覚えがない。
さだまさしは「金送れ」の一言でもいいと電話をかけるよう歌っているが、電話をかけなくても、いつも仕送りは銀行に振り込まれていた。
子どもが親元を離れた時、親は喪失感を味わう。
子どもはそれに気づかない。
こまめに電話やメールをくれたり、帰省してくれると親は幸せな気持ちになれる。
だが、子どもは目の前に次から次にやってくる、未経験のボールを受け取ったり、投げ返したりすることに必死であって、なかなか故郷に待つ親に思いを馳せることはない。
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