弾丸列車の予算で着工された2つのトンネルを新幹線が抜ける
新横浜を出て9分
遠くの稜線のさらに上
頭一つ抜け出した富士山が見えた。
小田原、熱海を通過。
7959mの新丹那トンネルに入る。
このトンネルは新幹線としてではなく、東京と満州をつなぐ弾丸列車構想の予算がおりて、1941年に着工された。
その後、計画が立ち消えとなり工事も中止されたが、後に新幹線計画の一部としてつづきの工事が行われた。
auのスマホでは、この長いトンネルの中でも、3Gでメールを送ることができた。
三島と通過していく間も、富士山は頭を出し続けている。
富士山は7月~8月が登山シーズン。
あいにくの曇り空だが、今日もあのてっぺんには、たくさんの観光客が訪れているのだろう。
8:01
新富士を通過するとすぐ富士川を渡る。
E席で、そこからふり返ると富士山が開ける。
ここが、富士山最後の撮影ポイント。
ここで富士山が見えたのは、数年ぶりのことだ。
富士山に別れを告げると、ここから名古屋まではすることがない。
ただ、寝ないようにするだけ。
もし寝てしまうとのぞみ9号の終点、博多まで連れて行かれてしまう。
8:05
A車ワゴンが1号車まで売りに行き、折り返して7号車まで返ってきた。
早いな。
あまり、売れなかったのだろうか。
それとも自由席の通路が通れなくて、途中で引き返したのか。
静岡を出るとすぐ 2174mの日本坂トンネル。
1941年着工
1944年完成
弾丸列車構想の一部として着工されて完成した、新幹線としては最古のトンネルである。
車窓にはお約束の茶畑が広がる。
何度も撮っているのだが、やはり、カメラを向けずにいられない。
そういえば、掛川茶というのを飲んだことがない。
新幹線の車窓から見える美味しい掛川茶
でGoogle検索してみたが、掛川茶メーカーのウェブサイトは出なかった。
8:18
掛川通過
情報スクリーンには
「8日福岡くもり時々雨」
のテロップが流れていく。
椅子が台車の揺れに共振してびりついている。
これは、E7系ではなかったことだ。
西から青空が見えてきた。
さっきまで、無限に思われた曇り空が、もう青い。
日本は長い。
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