長かった2014年
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2014年もあと2週間あまり。
そろそろ恒例の「しらべるが選ぶ5大ニュース」を選ぶ頃になった。
だがその前に「自分5大ニュース」を選ぶことにした。
1997年はどんな年だったか?
その年はG-SHOCKやノモマックスに始まり、コレクターの道に足を踏み入れた年だった。
1993年はどんな年だったか?
・・・
思い出せない
印象深い思い出
僥倖
大きな買い物
人生の岐路に立つ出来事
それらの重大トピックスがない年は、遠い未来になると、定義付けができなくなる。
人生は長いようで短い。
年月は限られている。
できれば、どの年も思い出深い年であって欲しい。
だから、今年という年を記憶と記録に残すための「自分5大ニュース」だ。
4月にはとても楽しみにしていたE7系グランクラスに乗った。
マラソン出場のための単独移動。
そんな状況でもないと、なかなかあの高額シートに乗る機会はない。
新幹線というよりも、電車の概念が変わるようなできばえの車体だった。
長野新幹線 E7系 グランクラスに乗った
https://silabel.cocolog-nifty.com/note/2014/07/post-c9c1.html
東京に来てから、ずっと1度は食べに行きたいと思っていた
玉ひでの親子丼。
本店はいつも行列と聞くが、並ばず入れる羽田空港国際線の店ができたことで、敷居が低くなった。
いい値段はするが、これまでに食べたどの親子丼よりも美味しかった。
ずっと憧れていた「くつろぎ」の暖色に調色できるシーリングライト。
「次に買いたいものリスト」に入っているモノでは最も「必要性」のポイントが高かったのだが、5年もそこで寝ていた。
今あるモノでまだ使えるモノは買い換えない。
その原則があったからだが、ようやく?現行品に翳りがみえた。
光が変わるという暮らしは慣れてみると、もう元に戻れない。
それよりも、おはようタイマー、おやすみタイマーが重宝している。
光をコントロールできる生活に憧れていた。
https://silabel.cocolog-nifty.com/note/2014/11/post-07c0.html
武雄市図書館は1年前、開館した時から楽しみにしていた。
そこには東京の便利さと、地方の純朴さがあった。
制服を着て訪れ、黙々と受験勉強に勤しむ進学校の高校生たち。
いつかこの街を離れ、福岡や東京を目指すのか。
かつての自分に姿が重なった。
1年前から楽しみにしていた武雄市図書館
https://silabel.cocolog-nifty.com/note/2014/08/post-ce4d.html
あと1つは個人的なことなので割愛する。
2014年は僥倖を欠いた。
後年にふり返った時、2014年は・・・
あぁ、あの長く感じた奇妙な1年だな
と思い出すことだろう。
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13:42
定刻。僕が降りたのぞみ161号博多行き
ドアが閉まり、出発
このために2年待った。
この写真を撮るために、幾多の調査と準備をしてきた。
準備の時こそ、人は楽しい。
準備に時間をかけることが、楽しみ上手だ。
N700AのAは、Adbance
自動運転や制動距離が短いブレーキなどが、N700に較べて進歩している。
だが、それらは新幹線の安全で正確な運行を支える影の力。
乗客としての発見や歓びは見つからなかった。
N700Aに続くJR東海の新幹線は、今も開発中なのだろうか。
それとも、来るべきリニア新幹線への投資のために、しばらく凍結なのか。
できれば、N700Aの次はN700B といったマイナーチェンジではなく、新しい編成名称を与えたメジャーチェンジを見たい。
かぷーの町、広島。
ここに降りて、最初に目指すものと言えばお好み焼き。
関東の人にはこれを「広島焼き」と呼ぶ人がいるが、とんでもない。
中国地方に生まれ育った者にとっては、たねをぐちゃぐちゃに混ぜてしまい、作り手の技などあったものではない"関西風"では物足りない。
クレープのように生地を敷き、魚粉をかけたところで、てんこ盛りキャベツ。
こてでプレスをかけてキャベツがしなったところで、天かすを加えて裏返し。
へりで焼いておいた豚肉、玉子、そばと重層化していく・・・
芸術性の高いこの地方の作り方こそ、お好み焼きと呼ぶに相応しい。
などと考えながら、いつものお目当て
駅ビル「ASSE」に入っている「麗ちゃん」へ。
前回は夕飯時だったため長蛇の列だったが、今日はお昼どきを外している。
ちょうど、1席だけ空いていて、並ばずに入れた。
注文したのはネットで調べておいた、最近の注目メニュー
「浅漬けキムチ入り」
お好み焼きは、鉄板の席で食べるのが美味い。
自分でこてを入れて少しずつ切りながら口に運ぶ。
熱くて涙が出るが、それも醍醐味だ。
テーブル席で体を折りたたむようにして、お好みを待つ。
おまちどうさまと出てきたのは、丸い皿に乗る半分に折り返された"半月焼き"
急いで撮ったので、ピントもぼけてる
どんなカタチでも味は同じのはずだが、なにかが違う。
口の中で、ほのかに甘い卵、かりっと香ばしい豚肉、もちっとした麺が混ざり合う。
その黄金比が見つからない。
キムチ入りはハズレだった。
豚肉卵キムチそば 900円(税込)
入店してから24分で食べ終えて店を出た。
広島と言えば、アンデルセン発祥の地。
アンデルセンと言えばデニッシュ。
本場広島で売られているデニッシュは、東京のそれとはひと味違うのだろうか。
食後のお茶は、アンデルセンでイートインと決めていたが、あいにく店が混み合っていて見送ることになったのは残念だった。
まぁそれほど、パン大好きというわけではありませんし。
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東京五輪まであと6年を切っている。
6年後にアスリートとしてピークを迎える世代では、出場権を巡って熾烈な争いが始まっている。
大会を支えるスポーツボランティアは8万人程度。
これに対して50万人は応募すると推察する。
大会に参加できるボランティアも狭き門だ。
もう5年ほど前、つまり東京が2016年夏季五輪招致を目指していた頃から、その争いは始まっている。
そして、そのテレビ放送についても争いは始まっている。
世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます
1964年10月10日
自衛隊のブルーインパルスが五輪のスモークを描いた青空
そこで、この名台詞が生まれた。
語ったのはNHKアナウンサー北出清五郎。
2020年東京五輪
開会式の実況は恐らくNHKが担う。
再び、ブルーインパルスが飛来して五輪を描く。
その空を名調子で描写する大役。
しらべるは、井上二郎にやって欲しい。
井上二郎は含み笑いが魅力的なNHKアナウンサー。
土日祝日、NHK 正午のニュースを担当している。
正午のニュースでは、全国のニュースに引きつづき、関東地方のニュースも読む。
喜怒哀楽のないニュースを読む時は、他のNHKアナウンサーと何ら変わらないポーカーフェース。
ただ、一際伸びる低い声は抜きんでた存在感がある。
その真骨頂は喜怒哀楽があるニュース。
犯罪を伝えるニュースは、眉間に深いしわが寄る。
微笑ましいニュースでは、眉毛を上下に動かし目だけを笑わせて読む。
かつて、滝川クリステルが初めて斜め45度で登場した時、誰もが衝撃を受けた。
井上のインパクトもそれに近い。
井上二郎の経歴
2011年
BSプレミアムのドキュメンタリーでナレーターを務める。
2012年
土日祝正午のニュースキャスターとなる。
2013年4月
司会を務める番組「知恵泉」が始まる。
2014年4月1日
「知恵泉」一周年 放送枠が30分から50分に拡大。
放送1年を過ぎると、ユーモラスな表現が増え、表情の崩し方がさらに大きくなった。
底知れぬ資質を感じさせている。
2014年11月22日(土) 22時過ぎから
長時間にわたり長野県で起きた震度6弱の地震関連ニュースを伝えた。
東京五輪のスポーツ実況は、競技知識が豊富なアナウンサーが担当する必要がある。
だが開会式は、スポーツアナでなくともよい。
国際感覚があり、人心の機微に寄り沿う言葉が自然とわき出る人がいい。
これからブレークの予感いっぱいの井上。
民放局が放っておかない。
五輪開会式の道があるとなれば、井上も2020年まではNHKでと考えるだろう。
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武蔵小杉は東京・神奈川の人が住みたい町として人気が上昇している。
"アド街"を見ていない全国の皆さんはあまり知らないと思うが、東京から多摩川を渡ると神奈川県。
そこから1km程度西に行った町である。
人気の理由は大きく2つある。
1つは交通の要衝であること。
「武蔵小杉」駅を置いているのは、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京急行電鉄(東急)の2社。
JRには品川から来る「横須賀線」が入線。
近隣には川崎から来るJR「南武線」が入線する「向河原」駅もある。
東急は渋谷に出る「東横線」と目黒に出る「目黒線」
その先は埼玉県まで乗り入れている。
線路はつづくよどこまでも・・・
なので、日本じゅうどの駅からも行けない駅はないのだが、どこへでも速く行けるという利便では群を抜いている。
速く行けるということは、速く帰れるということ。
都心に出かけた際、乗り継ぎで長時間の家路をめざす人を尻目に、直通電車で帰って来られる経路が多い。
2つめは、交通の要衝ゆえに高層マンションが多数整備されており、高級(高所得者)住宅地域となっていること。
現在も新築物件が建造中である。
最近は武蔵小杉に住む婦人はムサコマダムと呼ばれる。
むさい小姑みたいな名前だ。
ちなみに、大半の武蔵小杉をめざす人々は気にしていないかも知れないが、川崎市一帯は活断層がない一帯でもある。
多摩川からは1km程度の距離があり、水害のリスクも低い。
ジョギングコースでもある多摩川土手まで1km程度の距離。
ウォーミングアップ、クールダウンにちょうどよく、ランナーの住居としても好適だ。
そんな人気上昇中の武蔵小杉だが、これまでは3つのネックがあった。
1つは道路が狭い。
その割に渋滞する。
中原街道から多摩川を渡って来た道は、南武線の高架の手前で1車線となり、その後ずっと1車線。
これは、2014年秋に道路拡幅工事ができ、片側2車線となった。
南武線高架の拡幅にはあと2年ほどかかる見通し。
2つめは買い物をするところが少ない。
何でもそろう店といえば、ダイエーしかなかった。
3つめは子どもの遊び場がない。
ムサコマダム世代の子どもはまだ小さい。
この街にはデビューする公園がなかった。
2つめと3つめの課題を一気に解決したのが
2014年11月22日にオープンしたイトーヨーカドー資本のモール「グランツリー」
場所はJRと東急の2駅の中間。
多数の高層マンションが見下ろす中間点。
屋上にはサッカーコート1面程度の庭園が作られた。
「ぐらんぐりんガーデン」という名前が付いているが、わかりにくいためか館内案内板は「屋上庭園」となっていた。
屋上といっても、5階相当。
50階を超えるようなマンションに囲まれると、とにかく低い。
天候は「晴れ」です
これまで、遊び場に困っていたマダムと子どもに福音だが、
難点は陽が当たらないことか。
太陽の通り道は、すなわち「南に面した一等地」
そこは、高層マンションがふさいでいる。
陽が当たるのは午前中までで、午後からは晴れていてもかなり寒かった。
夏場の高い太陽が来れば、少しは陽が当たるかも知れない。(夏は当たらないほうがいい気もする)
読書家としては、本屋がなかったこの街に「紀伊國屋」ができたことが福音。
雑貨ファンには「ロフト」
ほぼ日ストア(ネット)で買おうと思っていた「ほぼ日手帳2015」
ネットで買うとボールペンと第二おまけが付くが、毎年使わないでしまい込んでいるから要らない。
その点、ロフトで買えば送料がかからない。
今年は予算よりも700円程度安く買うことができ、ほくほくしながら、回転寿司にできた長蛇の列を尻目に、この街を後にした。
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その日、僕は読書の記録をエクセルに書き込んでいた。
新たに読み終えた本を記録するために、100行めと101行めの間に1行挿入する。
そういう時、101行の任意のセルを選択して「行の挿入」ボタンをクリック。
エクセル2010のリボンでは、仕事にならない。
仕事じゃないけど
クィックアクセスツールバーには、いつも使うボタンだけが出してある。
中でも、これがなければ仕事にならない
・・・仕事じゃないけど
というボタンが「行の挿入」
これを使えば、その行のどこを選択していても行を挿入できるから便利だ。
これを知らない人は[101]と書いてある行番号を右クリックして、挿入をクリックしていることだろう。
なんと嘆かわしい
人のことはいいか
「行の挿入」ボタンをクリック
すると、エラーメッセージだ。
何もしていないのに・・・^^;)
エラーダイアログには次のことが書いてあった。
データの消失を防ぐため、空白でないセルをワークシートの外に移動することはできません。新しいセルを挿入する別の場所を選択するか、ワークシートの末尾からデータを削除してください。
ワークシートの外に移動できるセルにデータがない場合は、どのセルが空白でないと見なされるかをリセットできます。これを行うには、Ctrl+Endキーを押してワークシート上の最後の空白でないセルに移動します。
次に、このセルと、データの最後の行および列とこのセルの間のセルをすべて削除し、
保存します。
長くて読む気がしない。
しかし、何度試してもこのエラーから逃れられないことがわかり、しぶしぶ解読に入った。
以下はこの長文を、small step で書き起こしたもの。
【 1 】[Ctrl]+[End]
ノートパソコンでは[End]キーが [Fn]+[End]で割り当てられているものが多い。
その場合は[Ctrl]+ [Fn]+[End]
選択がワークシートの右下(1048576行)に移動する。
データがR列まで入っている場合、セル S1048576 が選択された状態になる。
■エクセルの行数
Excel2003までは65536行
Excel2007から1048576行
【 2 】マウス操作でスクロールバーを使いスクロールアップ。
データが入っている直下の行まで行き、その行番号の上にマウスポインターを置く。
データが100行まで入っているならば、行番号[101]の上にポインターを置く。
【 3 】[Shift]を押下しながら左クリック
これで、範囲が選択される。
大きな範囲を選択する場合、この方法が最も速い。
【 4 】[Delete]押下
この操作により、正体不明の"原因"となっているデータが取り除かれる。
【 5 】[Ctrl]+[S]
つまり、上書き保存。
これだけのことが、先の長文に書かれていたことだ。
そこで再び「行の挿入」ボタンをクリック。
いつもの通り、1行挿入された。
突然のエラーダイアログだが、予兆はあった。
この表をメンテしていると、ある行の高さが巨大になることが何度か続いていた。
それが5度めになった時、このエラーが出た。
コンピューターにエラーが出る場合、ユーザーが
"何もしていない"ということは、あり得ない。
何らかの理由によりデータが入っていないはずの行に、何らかのデータらしきものが入ったのだろう。
何らかがなんだかは、この際どうでもいい。
直る方法さえわかればいいのだ。
僕はエクセルの開発者でもなければ、エクセルに人生を賭けているわけでもない。
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久しぶりのやきそば弁当だ。
朝起きてお湯を沸かして家で弁当箱に詰め、お昼に食べる。
それが、独自のやきそば弁当。
結論から言うと、あまり美味しくはない。
弁当箱のフタをあけて、最初の箸を麺にさし込み持ち上げる。
すると、焼きそば全体が一つの塊となって持ち上がる。
慌てて塊を弁当箱に戻し、今度は少しずつ麺をつまんで歯で噛みきってのみ込む。
中身がわからない人が見れば、とても麺類を食べているとは思わないだろう。
カップ焼きそばは水が切ってあるので、麺が伸びることはない。
慣れてくれば、新しいタイプの食べ物だという割り切りが生まれる。
毎週1回のようなペースで食べたいとは思わないが、数ヶ月空くと
「そろそろ、焼きそばだな」
と思って、コンビニをのぞく。
その日の会社帰り、駅前のファミマで見つけたのは
ペヤング海老焼きそば
海老アレルギーの僕は、肉体がぷりぷりしている海老は食べられないが、殻だけならば大丈夫。
アワビにあたって食べられなくなるまでは、毎日図鑑の「えび」のページに見入っていたほど海老に魅了されていた。
今もその造形をみると、思わず
「あぁ美味そう」
と声が出て、周りに変な顔をされる。
海老の姿がはまっている「えび満月」や海老せんぺいには目がない。
誰もが「ひよこ」の皮を先に食べてあんこだけにするように、
僕は"がわ"を先に食べて海老だけにする。
数日後、朝
3分待ってお湯を切り、弁当箱に詰める。
ソースはその場で入れるが、あまり混ぜない。
ところどころ味が違ったほうが楽しいからだ。
麺の量がすくないので、買い置きがあったローソンの玉子サラダを隙間に詰める。
このサラダ、うす味なので、他の料理に合わせるには好適。
「あとのせ」の干しエビはそのまま開封せず、弁当風呂敷に入れた。
そして、お昼がくる。
弁当広げようとしたら
「ペヤングが・・・」
という声がした。
これから外に食べにいこうとする若者たちだ。
ふふっ、まさかここに、弁当にペヤングを入れた者がいるとは誰も思うまい。
思わず、自慢しそうになったがやめた。
まずは素のままで食べる。
まずい!
続いて玉子サラダと絡めて食べる。
美味い!
そして、お待ちかね、あとのせかやくの登場だ。
この一瞬、干しエビファンにはたまらない。
やきそばと玉子サラダの上に隙間なく敷き詰められたエビたち。
1口食べる
味がしない!
でも香ばしいから、それで十分だ。
この弁当、じゃなくて焼きそば。
会社帰りにもう一つ買い置きしよう。
至福の弁当を食べ終わり、音楽を鳴らしているスマホで、ネットのニュースをチェックする。
そこに「ペヤング販売休止」の文字
え゛?今食べたばかりだぞ。
>「製造過程でのゴキブリ混入、否定できない」 全工場の生産自粛を発表
そんなことがあって、若者たちが話題にしていたのか。
自慢しなくてよかった。
会社帰りにコンビニに寄る。
カップ麺の棚の一角がすっからかんに空いていて、そこがなんだったか一目瞭然。
値札にはペヤングの文字。
これからしばらく大変だろうが、まるか食品の皆さん、ペヤング復活を待っていますよ。
また、やきそば弁当に入れたいから、よろしく頼みます。
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「打撃の神様」川上哲治(故人)は現役当時
「ボールが止まって見える」と言った。
その卓越した動体視力の為せる業だ。
松岡圭祐の小説「千里眼」シリーズの主人公岬美由紀は、戦闘機で鍛えた動体視力を活かして、表情筋の細かい動きを読み取り、心理を言い当てる。
世間では認知されていないが、日本が誇る「オタク」も似たような能力を持っている。
それが「棚動体視力」
「動体視力」は動いているものをコマで止めて見る能力。
この場合、棚は動いていないが、自分の目線が高速で動いており、通常の人ならば対象を捉えづらい。
オタクは、コレクターショップの膨大な商品の中から、瞬時にお目当ての商品を探し当てる。
それは、パソコンで[Ctrl]+[F]を押下してキーワードを入力。
つづいて[Enter]キーを押下すると、瞬時にお目当てのキーワードを探し当てるのに似ている。
棚動体視力は
陳列棚から高速でお目当てのものだけを探し出す視力。
コレクターショップに入る
自分が集めているのは「仮面ライダー旧1号」
それ以外に「旧2号」「新1号」「新2号」「V3」にも興味はある。
だが、対象を広げることはできない。
なぜならば、コレクターはコンプリを目指してしまうからだ。
コレクター予算には限りがある。
生きていれば、食費がかかる。
牛肉も食べたい。
シャンプーや石けんも買うし、車にはガソリンも入れなければならない。
そんな中で、心を癒すための趣味に使える予算は決まってくる。
その限られた予算では「旧2号」「新1号」「新2号」「V3」と手を広げられない。
従って捜索対象は「旧1号」に絞る。
1列ごとヨコに棚をなめて、1列が終わると上下の棚へ移り、またヨコになめる。
1棹が終わったら、次の棹へ移動して、同様に繰り返す。
探しているモノに近いモノがあると、そこで目が止まる。
興味・関心があるテーマに触れる書名があると、そこで目が止まる。
オタクの「棚動体視力」のすごさはこれだけではない。
棚を流している間も、周囲への配慮を怠らない。
いわゆる「後ろに目がある」状態だ。
オタクはとても礼儀正しい。
コレクターショップでは、すれ違いざま互いにさっと体と荷物を引き、接触を避ける。
自分が向かっていく方向からご同輩が流れて来た場合、どのタイミングで譲って、体を入れ替えるかというタイミングも計っている。
そして、すれ違いざまには、道を譲って待つ。
互いが道を譲るため、
「どうぞ」
「いや、そちらこそどうぞ」
「いやいや、そちらこそ」
というやりとりが延々と続き、譲り合い渋滞が起きる。
出発点は臆病な正確にあるのかも知れない。
あるいは、他人との接点を消しているということかも知れない。
だが結果的に、その行為は礼儀正しさに満ちている。
それは、いいことだろう。
海洋堂社長宮脇修一は著書にこう記している。
(以下引用)
オタクはモラリスト。マイノリティを自覚しているので、世間に迷惑かけることはしない。ルール、マナーを守る。
(引用おわり)
外国からアキバに遊びにきたオタク外国人たちは、礼儀正しい日本のオタクと接して、とても安心感を持つことだろう。
オタクが礼儀正しいことを
「日本人は礼儀正しい」と勘違いするかも知れない。
東京五輪の折には、TCATをアキバに作り、外国人をアキバに引き込む導線をつくるとよい。
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サザンオールスターズは、日本のポップスバンドの中で最大の支持を得る5人組バンド。
特に宮崎県での支持は高い。
ドラムスの松田弘が宮崎市出身だからだ。
市内の書店「大山文成堂」で働きながら音楽を続けていた彼は、1977年に上京。
翌年にデビューするサザンに加わった。
サザンオールスターズは2008年から活動を休止していたが、2013年、デビュー35周年を機に活動を再開している。
1956年2月26日
桑田佳祐が神奈川県茅ヶ崎市で生まれる。
一か月後、佐野元春が生まれている。
二人はニューヨークで会ったことがあるらしいが、音楽的な共演はしていない。
1978年6月25日
桑田佳祐が22歳の年。
シングル・デビュー。
デビュー直後、TBS「ザ・ベストテン」にランク外の注目アーティストとして出演。
「勝手にシンドバッド」の音符の数よりたくさん乗った日本語にロックファンは腰を抜かした。
翌日学校に行くと
「ベストテンみたや?」
「サザンやろ」
「ばりかっこよかねぇ」
「日本にはおらんかったよねぇ」
ロックバンドも組んでいないのに、ロック通を自認していた僕らはこんな会話をしたものだ。
このデビュー曲発売日、6月25日は「サザンの日」としてファンに知られている。
デビュー日にちなんでファンが6月25日を「サザンの日」と呼び始めたということだが、いつから呼び始めたかは調べても、サザンファンに尋ねてもわからなかった。
1979年3月
3枚目のシングル「いとしのエリー」で不動の支持を得るポップスバンドとしてのスタートを切る。
それまで、ロックバンドのシングルといえばアップテンポなロックンロールと決まっていて「いとしのエリー」はそうしたロックファンをがっかりさせたが、実はポップバンドが本筋でロックモードは二枚腰だった。
とにかく「勝手にシンドバッド」のかっこよさを追求していくものと思っていたロックファンにとって、あぁこれで終わりだなと思った「いとしのエリー」が売れたのは意外だった。
1982年10月
今も結婚式や50代の同窓会でよく歌われる「Ya Ya(あの時を忘れない)」が発売された。
1984年10月
全編英語歌詞の「Tarako」発売。
この曲はシングルのみでアルバムに収録されていない。
A面シングルでアルバムに収録されていないのは珍しい。
1993年7月
シングル「エロティカ・セブン」は常盤貴子が世に出たドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に使われた。
2000年1月
カラオケの大人気曲「TSUNAMI」発売
2008年5月19日
無期活動休止宣言
8月16、17、23、24
日産スタジアムで「真夏の大感謝祭30周年記念LIVE」開催
2013年サザンの日
活動再開を発表。
デビュー35周年を機に活動再開
8月、野外ステージツアー開催 8月31日は茅ヶ崎で2万人を集めた。
2014年サザンの日
「9月シングル発売」→「東京VICTORY」
「年越しライブ開催」→開催
「年内アルバム発売」→発売されず
を告知した。
2014年12月27、28、30、31(4回)
サザンオールスターズ年越しライブ2014
「ひつじだよ!全員集合!」
横浜アリーナ
大晦日の年越しライブは、21:30の開演からWOWOWが生中継する。
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前方の座席には子どもを連れたお父さん。
1つの座席を子どもと分け合っている。
もしや・・
肩車の悪夢が胸をよぎったが、杞憂に終わる。
子どもがステージを見えるようにと、抱きあげた姿は痛々しい。
ステージに象さんや、仮面ライダードライブが来ているならば、自らバランスをとり体を支えるので、その子は軽いはず。
ところが、ステージには名も知らぬ歌い手。
脱力して、ステージとは逆方向、同じ振り付けを繰り返す聴衆を不思議そうに見ている。
きっと、あれは重い。
「SOME DAY」「アンジェリーナ」とこれでもか攻撃。
メンバー紹介が終わると、楽屋へ帰ろうとするCOYOTE BAND。
ところが、元春が呼び止めて肩を組む。
おいおい、
それはアンコールで規定の曲数を終えた時のやつじゃないのか?
あぁやっと座れる ^^;)
そう思っていたら
「もう一曲行こう」
参ったな・・・
アンコールにいかずに、ここで「ナイトライフ」の追撃。
最近では「11時までに」の歌詞で指を「1」「1」と立てる人ばかりになった。
誰もが同じポーズを作る。
いや、誰もではない。
一部の人はそんな全体主義には迎合しないよと、ほぼ直立して愉しんでいる。
僕は彼らに共感する。
この日、佐野元春は渋谷公会堂で20回めの公演。
初公演は「Visitors tour」だった。
2006年9月に改装した際、サントリーが命名権を購入し「C.C Lemon ホール」となり、当時は、正面玄関にレモンの看板がかかっていた。
2011年に契約が切れて、渋谷公会堂の名前が復活した。
「元に戻ったから僕も戻ってきた」
わかったような、わからないような、それが元春らしい。
アンコール
「ソーヤング」
「悲しきレディオ」
ステージ前方に出てきたベースの高桑、今度はピックをばらまく。
餅まきかっ
2015年はデビュー35周年。
佐野は「来年はニューアルバムをリリースしてツアーに出る」と語った。
もう16曲程度、録れているという。
The Hobo King Band時代のレコーディングは時間がかかった。
独創性がぶつかり合い、1つの道、わかりやすくいうと「OK」がなかなか出ない。
COYOTE BAND
佐野元春、小松シゲル、深沼元昭、藤田顕、高桑圭、渡辺シュンスケ
今、佐野がやりたいと思う音楽にOKが出る。
ファンはスタジオ見学したいわけじゃない。
音源となっていかした包みに入ったアルバムを愉しむのだ。
あまり待たされず、いい曲が出て来れば歓迎する。
できれば、それはかつて、Heartbeatの次に聴きたかったようなアルバムであって欲しい。
佐野元春2014秋ツアーの話し おわり
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Visitorsは、多様性があり、どの曲にも偽りなく生命の息吹が吹き込まれていた。
佐野元春が一つの時代を築いたロック・ミュージシャンであることを、このアルバムは最もよく証明している。
彼がデビューする以前、日本にはまだ、独自の世界観を構築したうえで成功したロック・ミュージシャンはいなかった。
彼はその第一人者であるがゆえ、このアルバムを作ることができた。
佐野元春がもしも「ザ・ベストテン」に進出するような売り方を選んでいたとしたら。
サザンオールスターズと並ぶ、日本の2大ロックバンドとなっていただろう。
ただし、Visitorsは生まれなかった。
そんな名盤Visitors、そしてさらに凶暴さを手に入れたライブアクト。
(一部のツアーでは音量も暴力的だった)
企画の佐野元春ではなく"規格"の佐野元春として、発表される独自の映像作品。
音源パッケージ。
それらの波状攻撃を前に、ファンとして離れる方が難しい。
だから、後に「あの時Visitorsを聴いてどう思った?」と問われた時、その意図するところさえ、よくわからなかったほどだ。
問題はSOME DAYにあった。
こう言っては身もフタもないが、リアルタイムで手にしたレコードを聴いた感想は
「曲の粒が揃っていない」だった。
個々にいえば、SOME DAY、ロックンロール・ナイトというスペシャルな曲はある。
だが、Back to the street、Heartbeatで展開してくれた
"A面に針を落としてから、B面の針を上げるまで"
息をもつかせぬ、疾走、緊張、優美、感傷
それに及ばないと感じた。
沢田研二に提供した楽曲のセルフカバーは、心に響かなかった。
しらべるでは「二枚目最強論」を提唱している。
レコード会社が、勝負とばかり制作費をふんだんに使う。
デビュー前から書きためた、人となりに忠実な楽曲が出し尽くされる。
地力がある音楽家は、2枚めに1度そのピークが訪れる。
それが「二枚目最強論」
だから、3枚めSOME DAYを聴いた時、落胆が襲っていた。
それが「SOME DAY問題」
だからこそ、4枚めに「Visitors」が来た時、
やった!かっこいい佐野さんが帰ってきたと大喜びできたのである。
「ボヘミアングレイブヤード」
「約束の橋」
「サムデイ」
「アンジェリーナ」
"惜しげもなく"という言葉が適切な、切り札切りまくり攻撃がつづく。
ベースの高桑が観客にピックを投げる。
ベースって、ピックで弾くんだっけ?
かつて、プロモーターが「モノを投げちゃいけない」と言った時代があった。
今はもう、それも解禁になったのか。
あるいは、注意が各ミュージシャンに行き届いていないのか。
つづく
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最近ずっと食べ続けていた牛肉弁当を食べるのが飽きてきた。
1つの時代が終わったな
ずっと愛用してきたヒートテック
でも、2014年「極暖」が出た。
1/5倍暖かいと言うだけある。
1つの時代が終わったな
長年活躍していた町内会長さんが
歳をとって引退した。
1つの時代が終わったな
ベネッセの中間決算会見で原田泳幸社長が発表した。
2015年3月期、上場以来初めて赤字に転落する見通しだと言う。
1つの時代が終わったな
こうして毎日ぼくらの身の回りでは
1つの時代が終わっている。
中島みゆきも歌っているように、
これらの時代はまた周回してリプライズするのだろう。
通を気取る
2枚目を気取る
専門家を気取る
世の中には、気取る人がいる。
気取るという事は大変な努力に裏打ちされている。
それがなければ、すぐに化けの皮がはがれてしまう。
多くの映画に出演した有名な俳優が死んだ。
1つの時代が終わったな
と君は言う。
時代が終わるということは、時代を築いていたということだ。
君はまず、それを理路整然と説明できるだろうか。
そして、感慨深そうに落胆してみせる、その背景はなんだ?
君は、その俳優にどう共感し、何を学び、共に生きてきたのか。
もし1つの時代を説明できないならば、すぐに化けの皮は剥がれる。
ステレオタイプでなおかつ何の裏打ちもされてない言葉を使うことの恥ずかしさを感じていないところに、とても違和感を感じるんだ。
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第47回総選挙まで、あと1週間。
衆議院は任期4年。
任期満了となると総員が改選される。
だから、総選挙という。
任期途中でも、内閣総理大臣が衆議院を解散すると改選されることがある。
衆議院議員は選挙でペンネームを使うことができる。
当選後、承認されると議会でもそのまま使える。
参議院ではペンネームは使えない。
本会議は火・木・金に開かれる。
委員会は随時、行われる。
衆議院、参議院それぞれに委員会がある。
国会における委員会とは、国会の本会議で議決する前に法案を審議する機関。
その名前からは、企業における「部署の会議」や「プロジェクトの分科会」のような印象を与える。
委員会で"下話"をして細部を詰めたら、本会議に諮って多数決をとるのだろう。
そう考えている人が多いと思う。
ところが、この委員会には事実上の決定権がある。
国会議員は必ずいずれかの委員会に所属する。
各委員会の定員は衆議院の議席数によって、割り振られる。
従って、どこの委員会も政権与党が、最大会派となる。
法案は委員会で可決されたあと、本会議にかけられる。
委員会と本会議は政党比率が同じ。
従って、委員会の議決はそのまま本会議の議決といえる。
安定多数、絶対安定多数という言葉が選挙で注目される理由はそこにある。
安定多数
すべての常任委員会で委員長を出し、すべての委員会で半数以上を占めることができる議席数。
絶対安定多数
すべての常任委員会で委員長を出し、すべての委員会で過半数を超える議席数。
採決に委員長が加わることなく議決できる議席数。
2014年12月の総選挙では、
安定多数:249議席
絶対安定多数:266議席
議席が300を超えていても、過去2年ご覧の通り。
すべての与党法案が、すんなり通ることはない。
ただ、国民の生命と財産を守るための決定が迅速に行われた。
それは、絶対安定数266であっても300であっても同じこと。
今回の攻防ラインは、266と言える。
【 時系列の記録 】
2014年11月9日
「消費税10%引き上げ延期ならば解散」と讀賣新聞が報道。
11月17日
7~9月のGDP一次速報値(年率換算前年比-1.6%)を見て安倍晋三首相が景気の腰折れを懸念。消費税引き上げ延期を決める。
11月18日
安倍晋三首相が衆議院解散を表明。
11月21日
衆議院解散
11月28日
みんなの党解党
12月2日
選挙公示
12月3日
期日前投票開始
12月14日 (日)
投開票
12月1日
消費税率アップ見送りの根拠となった「7~9月のGDP一次速報値」について、ロイターは「2次速報値」で上方修正される見通しと伝えている。
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スローな曲では「座ってください」と言ってくれるのを今か今かと待っていたが、なかなかその曲がやってこない。
前奏が始まった後、ようやく手を上げて「座って」というポーズをとってくれた時は、本当に嬉しかった。
相撲の枡席を独り占めするくらいの広さがあればいいのだが、コンサートホールで一人に割り当てられるスペースには限りがある。
ステップを踏んでヨコに動けば、となりの人の足を踏むし、大きく広げて手を打てば、となりの人をひっぱたいてしまう。
実際、後ろに座っている人から何度か頭を叩かれた。
いつの頃からか、元春のライブで腕を突き上げるのをやめた。
左利きの僕は「さむでいっ」と拳を突き上げると、となりの拳とぶつかってしまうからだ。
COYOTE BAND時代のナンバーを9曲つづけた後は新コーナー。
ここで元春は、来年ニューアルバムを発表することに言及する。
もちろん、拍手と歓声が起こる。
だが、どこか予定調和だ。
聴衆はあまり驚いていないように映る。
なぜならば、このツアーで既に複数会場に駆けつけた者がいる。
彼らにとって、それは既知のことだ。
そうでなくても、インターネットには各会場のMC内容を記した記事が出ている。
特にネタバレを気にしない人は、そういう情報を事前にチェックしているのだ。
「THE SUN」はレーベルを移ったこともあり前作から5年空いた。
「COYOTE」はそこから3年。
「ZOOEY」はそこから6年。
それらに較べると、中2年というのは早い。
「君がいなくちゃ」
♪君がいなくちゃ
を繰り返すフレーズ。
まるで、60年代グループサウンズのようだ。
「なにが君がいなくちゃだ?子どもみたいなこと言って。そう思っている人がいるんじゃない?」
思った!
素直に声をかけた。
その後、彼が明かすところによると、これは16歳の時に書いた曲。
発売されていないが、最近聴き直して、出すことにしたという。
回帰だろうが、懐古だろうが、そんなの全然関係ない。
元春がこれと思って出す曲は、なんだって歓迎だ。
「優しい闇」
つづいて新曲。
手拍子をとらずじっくり耳を傾けていたが、ワンコーラス終わる頃、魂に語りかけられていることに気づき、体が動きだしていた。
元春は「Heartbeat」の延長線にあるアルバムを出してくれるのではないか。
そんな期待が頭をもたげた。
元春の歴史には「Visitors問題」というものがある。
「Back to the street」「Heartbeat」「SOME DAY」と聴いてきたファンが「Visitors」のあまりの変わりように、ついていけずに離れてしまったことを言う。
元春もこのことを一時期は随分、気に病んでいたようだ。
だが、時を経て「Visitors」が実は時代を先取りしすぎていたことが明らかになると、その先進性と当時の酷評のギャップが伝説として語られた。
「Visitors問題」は「Visitors伝説」になった。
だが、そこには語られていないことがる。
「Visitors問題」で離れていったファンは、前作「SOME DAY」と"変わった"ことに失望したのである。
失望の前提には支持がある。
前作「SOME DAY」を支持しているからこそ、そのテーストで新たな名曲を待っていた。
しかし、出てきたものは期待とは違っていたということだ。
僕はVisitorsのレコードを買って来て針を落とした時、喜んだ。
「あぁよかった」
それは、その前に横たわる「SOME DAY」問題があったからだ。
つづく
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コンサート会場の切符切り。
荷物チェックはない。
そもそも荷物を持っていないが。
「こちら、どうぞ」
フライヤーが織り込まれた冊子を誰もが受け取っている。
これほど、受け取り率が高い宣伝物は他に例を見ないだろう。
ツアーグッズ売場には行列ができている。
女性トイレにも行列ができている。
こういう時、男は手軽でいいと思う。
ファンクラブの仲間がとってくれた座席は、比較的前寄りの右端。
横幅が広いホールでは、両端席は貧乏くじだ。
ステージに近いとはいえ、スピーカーの影で端に立つギタリストが死角になる。
一方、渋谷公会堂は横幅が狭く、両端でもギタリストの深沼元昭が死角になることはない。
座り心地のいい椅子に深く腰掛けて、しばしの名残を惜しむ。
これから2時間半、ほとんど座ることはできないはずだ。
18:05
開演から5分遅れて、入口係員の数が増えた。
インカムで連絡を取り合っている。
「弁当、残しといてくださいよ」
と言っているのではなく、恐らく、来客の出入りが落ち着いたことや、コヨーテバンドの出陣態勢が整ったことなどをやりとりしているのだろう。
客電が落ち、暗幕があがる。
バンドのメンバーは既に配置に着いていて演奏が始まる。
特段、セットと呼べるものはない。
COYOTE BAND という文字とロゴがライティングで段幕に投影されている。
これならば、予算がかからなくて済む。
元春が現れてカウントをとり「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」
この曲を聴いて、ご機嫌にならない元春ファンはいないだろう。
はじめから聞いているファン、Visitorsで入ったファン、いろいろいるが、平均的なファン層が聴き始めた頃の象徴的な曲だ。
今回のツアーは冒頭、初期の曲で始める。
会場によって2曲め以降は異なり、この日は
「スターダストキッズ」
「ダウンタウンボーイ」
つづいてCOYOTE BANDとの曲コーナー
「星の下路の上」
前奏が鳴ると反射的に走りそうになった。
マラソンレースでは必ず、セットリストに入れて行く。
ロックンロールはこうでなくちゃという曲だ。
「夜空の果てまで」
「us」
「黄金色の天使」
「Le Vita e Bella」
「世界は慈悲を待っている」
「ポーラスタア」
「スーパーナチュラルウーマン」
「詩人の恋」
COYOTE BANDは佐野元春にとって、3つ目のバンド。
1980年デビュー当時はHeartland。
1stアルバム「Back to the street」から9作目「The Circle」までを共にした彼らとは1994年のLAND HO!でわかれる。
1997年からはThe Hobo King Band。
11作目「THE BARN」から
2009年からはCOYOTE BAND。
だが、The Hobo King Bandとの活動も続いている。
つづく
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2014年の佐野元春は、比較的おとなしい活動だった。
前年2013年は、2012年暮れから2月まで「佐野元春 & COYOTE BAND 2012-2013 WINTER TOUR」
3月13日の誕生日にCOYOTE以来6年ぶりとなる新作「ZOOEY」を出した。
9月には1980年に公開したフィルム・コンサート「フィルム・ノー・ダメージ」を劇場公開。
同内容の映像と音源を市販した。
同9月、TVCM NTTドコモ Xi クロッシィのTVCM やるべきことはまだまだある篇に「夜空の果てまで(ZOOEYに収録)」が使用された。
そして、2014年はというと、アルバム発売はない。
このところ、5年、6年と間隔が空くのがお約束になっていて、それ自体は驚かない。
8月30日、池上本門寺の野外特設ステージイベント「Slow Music Slow LIVE」にThe Hobo King Bandと出演。
10月29日、VISITORS30周年記念盤「VISITORS DELUXE EDITION」発売。当時の未発表曲「CONFUSION」収録。
アルバムはなくても、ツアーをやるのはお約束。
不正コピーの横行。
身入りの少ない配信。
インターネットはユーザーを便利にしたが、作り手は大変だ。
日本で初めて公式ウェブサイトを立ち上げ、インターネット時代を切り開いた元春にとっても、それは例外ではない。
今や音楽家にとって、印税収入と並び、興行収入はなくてはならない2本柱なのだ。
佐野元春 & COYOTE BAND 2012-2013 WINTER TOUR
9月から11月にかけてコヨーテバンドと、全国17都市、19公演の旅に出た。
2014年9月28日
川崎クラブチッタ(ライブハウス)でスタート
今回はホール、ZEP、ライブハウスと会場により3通りのセットリストが用意された。
ツアーファイナルは、11月29日・30日 渋谷公会堂。
11月29日 東京は雨
14時頃には雨雲レーダーから雨雲が東の海上に去り、遠方から来た人だけが用なしになった傘に難儀している。
今日はヨコ並びで拝聴する僕ら元春仲間3人は、約束の時間どおりに揃う。
開場30分前、人影はまばら。
15:30から玄関右側を開けてツアーグッズが売られている。
ビジターズ30周年ということもあり、ビジターズのビジュアルを用いたTシャツ、クリアファイルなどが並ぶ。
8mm、VHSで発売された「Visitors tour 1984-85」の冒頭、一瞬フラッシュされるノックする人影。
とても魅力的だった。
このキース・ヘリングの「ラディアントベビー(這い這いするベビー)」に似たアイコンは、後にVisitors20周年G-SHOCKではEL(文字盤に浮き上がるバックライト・アイコン)として使われた。
当時まだキース・ヘリングの知名度は低かったが、この頃からキースが亡くなるまでの5年間、南青山のポップショップトーキョーに通ったものだった。
雨上がりの外気は肌寒い。
渋谷公会堂隣接のドトールは満席につき、少し坂を下りてエクセルシオールカフェに入る。
ほぼ満席の店内。
勝手に決めては悪いが、年齢的にみて元春ファンと思しき人が多い。
誰もが落ち着き払っていて、馬鹿笑いをしたり、大声をあげるような者はいない。
16:20
既に開場された渋谷公会堂へ戻る。
渋谷公会堂は、NHKのそばにある古いホール。
音楽専用ではないので「あまり音はよくない」というのが、自称音楽通の定説だ。
かつて、東京五輪では重量挙げ会場として使われている。
重量挙げは前方にしか客席がない会場で行われる珍しいスポーツ競技。
(大半の人は)お尻をみてもつまらないだろうし、競技者もぐっと踏ん張っている姿を後ろから見られると集中できないのだろう。
ちょうど、去年の今頃、遊佐未森25周年ライブで来て以来だ。
つづく
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12月14日、衆議院としては初めてのネット選挙となる第47回総選挙が行われる。
今回の選挙は、大きな変更点が1つある。
「0増5減」
一票の格差を是正するために、5議席が減らされ衆議院定数が475になった。
衆議院定数の推移
2000年6月の総選挙から、512人から480人に減った。
2014年12月の総選挙から、480人が475人に減った。
従って30歳以上の大半は高校の「政経」で
「衆議院の定数は512人」
と暗記したことになる。
5減の5は福井、山梨、徳島、高知、佐賀の小選挙区。
それぞれ、定数が3→2に減らされた。
定数が475人になったことで、過半数は238。
過半数を得た会派が、政権を獲得する。
「会派」は聞き慣れない人が多い言葉。
同じ考えを共有する人たちで組織するグループで、議会に届け出る単位。
一般には第一党が単独で会派を構成する。
ただし「連立」があった場合、二つ以上の政党で1つの会派を構成することになる。
その逆に政党内でいざこざがあり、同じ政党で2つの会派に分かれることもある。
選挙は本来、過半数を争うもの。
過去2回は続けて、政権交代が起きており、
まさにその「過半数」を巡る戦いだった。
そして、過去2回いずれも、ある政党の一人勝ちとなったため、結果としてついてきた数値が
「安定多数」「絶対安定多数」である。
安定多数とは
政権与党が各院において、すべての常任委員会で委員長を出し、なおかつすべての委員会で半数以上を占めることができる議席数。
議決が可否同数となった場合、議長が採決に加わり議決できる。
絶対安定多数とは
すべての委員会で過半数(同数ではなく半数より多い)を超え、採決に委員長が加わることなく議決できる議席数。
従って、安定多数と絶対安定多数の違いとは
委員会において、与野党で議決同数になるか、ならないか。
安定多数は、与党議長が議決に加わって可決。
絶対安定多数は、与党委員が過半数なので、与党議長が議決に加わるまでもなく可決できる。
本来、国民が付託しているわけだから、絶対安定多数をもつ与党は、次々に法案を通せるはず。
だが、日本の政治では、それをしない。
絶対安定多数をもつ与党でも、審議を進める前に野党と事前協議をおこなっている。
それをしないと、ある野党はそれを
「強行採決」と言い
「憲政史上希に見る暴挙」と言う。
もし、この言葉を口にする議員がいたら、国民を根っから馬鹿にしている人だ。
国民が付託して政権与党が多数を占めているのだから、その議席で法案を通すのは「強行」でも「暴挙」でもない。
それが議会制民主主義。
それを「強行」「暴挙」という人は、そもそも国民が選挙で与党を推したのがおかしい!
と言っているのである。
そして、そう言っていることを国民が気づかないと考えている。
心の底から国民を舐めている。
だが、本人たちにはその自覚がない。
2014年12月の総選挙では、
安定多数:249議席
絶対安定多数:266議席
攻防ラインは過半数の238であり、安定多数の249である。
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12月14日、第47回総選挙が行われる。
今回の選挙は、総選挙として初めてのことが1つ。
大きな変更点が1つある。
初めてのことは「ネット選挙」
公職選挙法改正による、インターネット等を利用する方法による選挙運動の解禁である。
2013年4月19日
改正法成立
2013年7月
参議院選挙より解禁
法律改正後、初めての総選挙である。
念のために書いておくと、衆議院の場合、総勢が改選されるため「総選挙」
参議院は半数ずつの改選のため"総"選挙とは言わない。
法改正前、禁止されていたのは、選挙期間中(公示→投票日)における選挙運動としてのネット利用。
それ以外の期間のネット宣伝は、従前から自由だった。
なお、選挙期間中以外の選挙運動は、ネット・リアルに関わらず禁止である。
ネット解禁により、候補者・政党としては
ウェブサイト、SNS(twitterなど)、E-mailが解禁された。
LINE、メッセージ機能も使える。
ただし、ウェブページにバナー広告を出してよいのは政党のみ。
候補者が出すのは依然として禁止されている。
有権者にとっても、ネット選挙が解禁された。
つまり、法改正前には、有権者にもネットを利用した選挙活動は禁止されていたのだ。
ただし、注意しなければならないのは、有権者がメールを使って「今度の選挙、●●さんに投票して!」などとやるのは、現在も法律違反ということだ。
しかし、LINE、SNSのメッセージ機能はOK。
なんじゃ、そりゃ
というツッコミがいま、一斉に入ったと思う。
メールを使うのは比較的、高年齢層。
LINE、SNSは比較的、低年齢層。
とすれば、高年齢層にネット選挙活動をさせまいと言う法律なのか?
というと、そうではない。
「メールは不特定多数に送ることができ、想定しない相手から届く。一方、LINE、メッセージは不特定多数に送るものではないから」というのが、解禁理由。
そう言われると、少し納得できる。
ある政党が、何らかの名簿を利用して、一斉に宣伝メールを送りつける。
そういうことを禁じているのである。
ウェブサイト(ウェブページ)
(一般にはホームページと呼ばれている)
の利用では注意点が2つ。
・連絡先となるメールアドレス、ツイッターアカウントなどを明記する義務がある。
有権者がウェブサイトで選挙運動をする場合も同様。
・選挙当日0時を過ぎると、更新できない。
そして、最後に未成年の選挙運動はネット、リアルに関わらず禁止のままである。
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