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2014年12月 8日 (月)

佐野元春とSOME DAY問題

Visitorsは、多様性があり、どの曲にも偽りなく生命の息吹が吹き込まれていた。
佐野元春が一つの時代を築いたロック・ミュージシャンであることを、このアルバムは最もよく証明している。
彼がデビューする以前、日本にはまだ、独自の世界観を構築したうえで成功したロック・ミュージシャンはいなかった。
彼はその第一人者であるがゆえ、このアルバムを作ることができた。
佐野元春がもしも「ザ・ベストテン」に進出するような売り方を選んでいたとしたら。
サザンオールスターズと並ぶ、日本の2大ロックバンドとなっていただろう。
ただし、Visitorsは生まれなかった。

そんな名盤Visitors、そしてさらに凶暴さを手に入れたライブアクト。
(一部のツアーでは音量も暴力的だった)
企画の佐野元春ではなく"規格"の佐野元春として、発表される独自の映像作品。
音源パッケージ。

それらの波状攻撃を前に、ファンとして離れる方が難しい。
だから、後に「あの時Visitorsを聴いてどう思った?」と問われた時、その意図するところさえ、よくわからなかったほどだ。

問題はSOME DAYにあった。
こう言っては身もフタもないが、リアルタイムで手にしたレコードを聴いた感想は
「曲の粒が揃っていない」だった。

個々にいえば、SOME DAY、ロックンロール・ナイトというスペシャルな曲はある。
だが、Back to the street、Heartbeatで展開してくれた
"A面に針を落としてから、B面の針を上げるまで"
息をもつかせぬ、疾走、緊張、優美、感傷
それに及ばないと感じた。
沢田研二に提供した楽曲のセルフカバーは、心に響かなかった。

しらべるでは「二枚目最強論」を提唱している。
レコード会社が、勝負とばかり制作費をふんだんに使う。
デビュー前から書きためた、人となりに忠実な楽曲が出し尽くされる。
地力がある音楽家は、2枚めに1度そのピークが訪れる。
それが「二枚目最強論」

だから、3枚めSOME DAYを聴いた時、落胆が襲っていた。
それが「SOME DAY問題」
だからこそ、4枚めに「Visitors」が来た時、
やった!かっこいい佐野さんが帰ってきたと大喜びできたのである。

「ボヘミアングレイブヤード」
「約束の橋」
「サムデイ」
「アンジェリーナ」

"惜しげもなく"という言葉が適切な、切り札切りまくり攻撃がつづく。
ベースの高桑が観客にピックを投げる。
ベースって、ピックで弾くんだっけ?

かつて、プロモーターが「モノを投げちゃいけない」と言った時代があった。
今はもう、それも解禁になったのか。
あるいは、注意が各ミュージシャンに行き届いていないのか。

つづく

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