エリーはなぜ日本語が上手にならないのか?
演技の天才、吉高由里子が主演を張った「花子とアン」は出色のドラマだった。
日々、どきどきの連続。
しかも、古くさい辛気くさい主筋がない。
「ごちそうさん」で言えば、小姑のいじめなどという昭和の古典ドラマ筋は憂鬱だった。
主題歌もいい。
絢香が歌う「にじいろ」が流れると、シャボン玉を吹きたい衝動に駆られた。
火曜日から土曜日のショートバージョンは、HDレコーダーの30秒飛ばしボタンを2度押下すると、花子が背を向けて草原を臨んでいる画面となり、すぐに開演を迎えられる。
聞き飽きるのが嫌なので大抵飛ばすのだが、それでも5回に1回はフルに聴いた。
そんな「花子とアン」が終わりに近づくと、10月の番組改編後にスタートする次回作の情報が流れ始める。
「マッサン」
そうか
次はさだまさしの生い立ちドラマを持ってきたのだな。
「今夜も生でさだまさし」など、さだまさしはNHKと近しい。
恐らく近著で、彼の父を描いた「かすてら」が下敷きとなるのだろう。
誰もがそう思ったはずだ。
いや、違うと言うなら "さだまさしファンならば"という条件をつけてもいい。
マッサンというのは、さだまさしのコアなファンが彼を呼ぶ愛称。
「マッサンこんばんは」
こんばんは
「スミヨシさんこんばんは」
こんばんは
「となりの人もこんばんは」
がくっ
番組タイトルを聞いた時、このような光景が、脳裏に浮かんだ。
ところが、予告編を見ていると外人が出ている。
あれ、おかしいぞ。
「カステラ」には外人は出ていなかったぞ。
さだまさしの母は、実は外人だったという脚色なのか?
そんなこんなで(笑)
初期の感情移入に失敗した「マッサン」だが
「ごちそうさん」当時から「花子とアン」を通して、HDレコーダーには月~土録画を施している。
30話つまり5週間が過ぎたところまで溜めて、一応見てみることにした。
第一話
いきなり遺影のエリー
巧いなNHK。
いきなり主役を殺して始めるとは。
日常の暮らしでは、それほど身近にいる人が死ぬことはないので、エンタテインメントは仮構の中で人を死なすことで、見る者の心を揺さぶりにかかる。
もしも「死」「料理」「音楽」「犬」をドラマで扱ってはいけないという決まりができたら、制作現場のスキルはさらに上達することだろう。
果たして、いつものように連続視聴小説になった「マッサン」
だが、時が経つにつれて熱が冷めてくる。
いつ、ウィスキーつくるの?
ウィスキー作る話じゃないの?
姑のいじめは「ごちそうさん」で似たようなことをやったじゃない。
実の娘ではないという筋は「花子とアン」でやったばかりじゃない。
そこは、わかっているから触れなくてもいいよ。
さらに言えば、このドラマの違和感は、筋が悪いだけでないと思う。
元々、外人に感情移入できないので、TSUTAYAでも洋画は借りない。
借りて見るのはすべて邦画。
洋画ファンならば「マッサン」にわくわくできるのかも知れない。
それにしても、エリー日本語下手じゃないか?
エリーが日本に来てすぐの頃は「まぁ日本語ぺらぺらなの?」と驚かれて、女優の日本語力と調和がとれていた。
ところが、10年近くたっているのに、
えっ、どっしてえぇ
と下手な日本語だけが変わらない。
すっかり日本に溶け込んだエリーと、女優の日本語力に大きなギャップが出ている。
番組スタッフはキャスティングの段階で、そこまで読めなかったのだろう。
僕だって、そんなこと読めない。
エリーはなぜ日本語が上手にならないのか?
その答えは、元々「途中から、通常の日本語イントネーションで芝居してもらう」という契約もなく、周囲は「よくやっている」というしかない状況にあるということか。
エリーはなぜ日本語が上手にならないのか?
その答えは、元々「途中から、通常の日本語イントネーションで芝居してもらう」という契約もなく、周囲は「よくやっている」というしかない状況にあるということか。
この経験を糧にして、制作現場のスキルはさらに上達することだろう。
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