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2015年5月 6日 (水)

結婚式シーズン 結婚式に呼ばれる側の人がしてはいけないこと

5月は結婚式のシーズンである。

花嫁が幸せになれるというジンクスがある「ジューンブライド」は6月だが、日本では梅雨の時期。
出席者にとっては、キレイに着飾った和服やドレスが雨に打たれては台無し。
「自分だけラッキーなら、いいのか!」
と言われかねない。

そこで、ゼクシィのウェブサイトでしらべる
結婚式をする時期として人気が高いのは「4月」「5月」「10月」「11月」と書かれていた。


そこで「結婚式に呼ばれる側の人がしてはいけないこと」をご紹介しよう。
まずは結婚式に呼ばれる前のことだ。


すでに結婚した人は、自分の結婚式に独身者を呼んでいるだろう。
その人に対して「僕は呼ばないでいいから、気を遣わないで」と言ってはいけない。

結婚式には来てもらったが、その後あまり親密ではなくなった。
恐らく相手も、自分に義理立てして呼ぶか否かで逡巡するのではないか?
自分は気を利かせたつもりの発言だ。

ところが相手からみれば、そのことばの意図は幾通りかの取り方がある。
1,招待者数が限られているならば、自分を外していいよと言う深謀遠慮
2,君の結婚式を祝う気分じゃない
3,君からはご祝儀をもらったけれど、僕にはそのつもりはない

お金がもったいないので行きたくないのならば、仕方ない発言かも知れないが、相手からみれば日本の伝統に反する自己中心名態度とみられかねない。


招待状が届いたら・・・

「僕に出番あるかなぁ」
暗に歌わせろ、喋らせろというアピールをする人がいる。
これを言う人に限って、歌は平凡、話しも独りよがりで受けない。

これを目上の人が言うと新郎新婦は、無理して頼まざるを得なくなる。
だが結婚式の主役は新郎新婦。
「受付とか手伝うことがあったら、遠慮せず、声をかけて」
も言わなくてよい。主役の二人がやりたいようにやり、周りはそれに従えばよい。



アピールしたのに声がかからないと、互いに気まずくなる。
無理して頼むと、それが"オーバーブッキング"につながる。

オーバーブッキングとは、タイムキーパーからみて目一杯にスピーチ・余興を詰め込んだ状態だ。
結婚式は時間が押すものと相場が決まっている。
なぜならば、年寄りの話が長いからだ。
「一曲うたうだけ」
と言っておいたのに
「歌う前に、夫婦にとっての3つのショウをお話シマス」
と始まってしまう。

僕が司会ならば「すみません○○様、時間ないのでそれナシでお願いします」
と割って入るが、実際にそんな人には司会の依頼が来ない。

5人は歌えると思って、頼んでおいても実際には3~4人しか出番がない。
余興の順番や出番は予め知らされない。

これは"呼ぶ側"の話しだが
「時間の都合によっては、出番がないかも知れないのですがいいですか?」
という頼み方をしてはいけない。
その人は快く「わかった!気を使わないで」と言うのだが、内心はそうではない。
結婚式の間じゅう、出番が今か今かと待っている。
酒はほどほどに抑え、料理も喉を通らない。
同僚や友だちとの会話も上の空だ。

宴たけなわ、エンディングのお約束
「新婦から両親への手紙披露です」
と言われても、もしかしてこの後に俺が「乾杯」を歌うのか?
と、まだ考えている。


返事をぎりぎりまで保留してはいけない。

締切間際まで、出欠が不明な場合、新郎新婦にストレスがかかる。
その人がとてもエライ人で「主賓のスピーチ」を頼もうと当てにしている場合、計画が立たなくて困る。

押さえとして別の人にも同じ原稿を渡すことになり、ドタ参すると
「先ほどの方が全部話してしまったので・・」
ということになり、招待者にエベレストのように空気が凍り付く体験をさせてしまう。


結婚式当日
酔っぱらってはいけない。
新郎新婦が見ていて、はらはらするし、他の出席者から
「ろくな友達がいない」
と見限られてしまう。


新婦に向かって「ブーケをこっちに投げて」とプレッシャーをかけてはいけない。
新婦には新婦の事情がある。
洒落のつもりでも、言われたほうには洒落に聞こえない言葉だ。


新郎新婦の写真を撮った後、その場に居座ってはいけない。
現代においては、出席者全員がカメラマン。
好位置で1枚撮ったら、次の人に場所を譲り、席に戻る。

そのまま話し込むバカがいると、その後ろに撮影待ちの行列ができる。
でも、そういう人は後ろに目がない。
ひな壇にいる新郎新婦の撮影は、談笑がセットではない。
周囲を見回して、次に待っている人がいない時に限り、少し話せばよい。


スマホでメールを打ってはいけない。
緊急の要件がある場合も、一旦会場の外に出なければならない。
あと30年経って、すべての招待客がスマホに造詣の深い人になるまでは。

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