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2015年8月 3日 (月)

香港ポンプフューリーとお別れの日が来た。

2015年、日本全国が長雨で覆われた後、一気に暑くなった週末のことだ。

「香港ポンプ」は長らく靴ラックで展示状態にあった。
靴コレクターだが、基本的にはすべて実用する。
唯一の例外は、保存用に買ったノモマックスファーストカラーが靴箱に仕舞ってあるだけだ。


ポンプフューリーは、エアマックスのように加水分解しない。
これまでに6足のポンプを履いて来たが、そのいずれも加水分解していない。
完全にご臨終ということがなく、捨てるタイミングを計るのが難しい靴と言える。

では、どのタイミングで捨てたかというと、アウトソールのゴムが剥がれて来た時だ。
それでも、瞬間接着剤で付けるとまた履ける^^;)
そうして延命しては履き、次第にあちこちにガタが来て、お別れとなる。

ところが「香港ポンプ」は違っていた。
香港ポンプとは、1997年香港が英国から返還されたことを記念したモデル。
ベロには「9」「7」を意味する文字が入っている。




当初、1997足限定で発売
雑誌に紹介された時、そのカラーリングに一目惚れした。
コレクターは「限定」に弱い
シリアルナンバー付きと言われると、たかが数字が入った紙だというのに、陶酔状態に陥ってしまう。

ポンプファーストの黄色いアッパーは斬新だが、あまりに派手過ぎて、表を歩くには少し恥ずかしい。
その点、黒いポンプアッパーを基調とした「香港ポンプ」は、ほどほどに派手。
これならば、表を歩ける。
購入意志決定のための、理論武装はいともたやすい。

だが、世はナイキ&スニーカーブーム全盛
いかんせん1997という数字は少なすぎる。
行きつけの2~3軒の靴屋を回ったが、どこもお手上げ。
いつ何処で売ったのかもわからぬまま、手に入らなかった。
手に入ったとしても、完売後につけられた10倍程度のプレ値にひるんで手を出せなかった。
その後、限定を解いたモデルが19,950円で発売されたので、それを購入した。

「香港ポンプ」は夏が来る度に、ローテーションに入れた。
かかと周辺が剥きだしのポンプは通気性がよい。
冬場は見た目が寒いが、暑い夏は強い日射しによく映えた。



ポンプフューリーは、ポンプでアッパーに空気を送り込み足にフィットさせるリーボックのランニングシューズ。
初代は1994年に発売されたが、斬新過ぎて当初はあまり売れなかった。
1995年、エアマックス95イエローグラデにより、スニーカーブームが起きると「エアマックスよりもっと斬新」ということで着目されて大ヒットした。

デザインの特色はカラーリング
2色以上を組み合わせて「ポンプ部」「ベロ」「ヒールトップ」「アッパー」「アッパー先端」に配置。
まさに、ハレの日の靴と言える。
その後、多数のカラーリングで発売され、ファーストカラーのイエローは何度も復刻された。


1stのイエローは1994年4月発売
セカンドは同年8月、黒を基調にした地味なデザイン。これはほとんど流通していない。
1995年4月はパープル×白のさわやかな組合せ
同年10月は赤青白の通称「トリコロール」
同年12月には、イーストベイ別注で「オールブラック」
これは、夏場の会社用として数年履いていた。


1996年にはポンプフューリーの廉価版「フューリーロード」が発売された。
そもそも、なぜポンプフューリーがナイキエアマックスより5,000円高かったかというと、カーボングラファイトを使っていたからだ。

ポンプフューリーはフォアフットとリアフットの中間がすっぽり空いていて、ミッドソールが前と後ろにしかない。
そこは、ランニングでは不要だという考え方によるものだ。
その中間部分を補強するために、アウトソールにチェッカーフラッグ模様のカーボンが仕込まれている。
この構造を持つため、ポンプフューリーはいつの時代も、安くは作れないのである。

一方「フューリーロード」では、金のかかるその発想をひっこめた。
通常靴と同様のミッドソールを付けることで、廉価版として売り出したのである。
カラーリングも、派手さを廃して通常のランニングシューズ然とした。
従って当時「フューリーロード」は"通"やアスリートが履きこむ靴という位置づけだった。

つづく

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