消化試合となった10.4決戦をいかに楽しめばよいか
10.4巨人ヤクルト戦は「10.4決戦」にはならなかった。
消化試合の公式戦を球場で観戦するのは、生まれて初めての経験になる。
といってもオープン戦ならば、子供の頃によく見ていた。
生まれ育った山口県では、公式戦で巨人が来ることはなく、巨人を目の前で見ることができるのはオープン戦に限られていた。
今でも、その日付、チケットの活字、券面の色までイメージが残っている。
家では讀賣新聞をとっていなかったので、新聞販売店から配られたものではなかったはず。
でも、無料招待券と書かれていた気がする。
父か母のどちらかが、巨人ファンの僕を連れて行こうと、どこかでゲットしてきてくれたのだろう。
秋晴れの候、家族4人がスバル360に乗って、福岡県の平和台球場や小倉球場をめざす。
オープン戦ですら、巨人が山口県に来た記憶はない。
これは推測だが、山口県は広島の隣接県。
広島がサブフランチャイズ地域として、興行開催権を抑えていて、オープン戦ですら巨人に対して開催を許諾しなかったのではなかろうか。
当時はユニフォームを着て応援する習慣はないし、父母がなにか記念グッズを買ってくれたということもない。
そんなものは何も要らなかった。
目の前で巨人のユニフォームが動いている(だいたい外野のヨコにある内野席なので顔はあまり見えない)
それだけで、おとぎの国に迷い込んだように陶酔できた。
当時はユニフォームを着て応援する習慣はないし、父母がなにか記念グッズを買ってくれたということもない。
そんなものは何も要らなかった。
目の前で巨人のユニフォームが動いている(だいたい外野のヨコにある内野席なので顔はあまり見えない)
それだけで、おとぎの国に迷い込んだように陶酔できた。
さて、目の前にある10.4決戦
真剣勝負ではない試合をどうやって楽しむか。
真剣勝負ではない試合をどうやって楽しむか。
そもそも、観戦するという行為にどんな意味があるのかといえば、それは応援である。
応援というのは「阿部ぇ母ちゃんにいいもん食わしてやれ~」とか「マイコラス、来年は3億出すから残ってくれ~」というような声をかけることではない。
贔屓チームの勝利を希望しているという前提がある。
僕らは希望があるから、身体を動かしてその場所へ移動する。
贔屓チームの打者がヒットを打てば歓び、投手のナイスボールが「ボール」と言われれば「どこ、見てるんだ審判」と嘆く。
巨人の場合、得点を挙げれば1点につき1度、オレンジ色のタオルを振りながら
ビバ ジャイアンツ 輝ける男たちよ
ビバ ジャイアンツ 美しき男たちよ
光る大地を 駆け抜けろ
と歌わなければならない。
この歌が得点時に歌われるようになってから、巨人のスカウトはルックスも評価に加えるようになった。
(推測)
ちなみに、ヤクルトの場合は応援用小型ビニル傘を広げて東京音頭を歌う。
ビデオ録画機
インターネット配信
1980年代以降、野球中継を見る方法は多様化している。
従来との差異を表すキーワードは「タイムシフト」「場所の移動」だ。
昔はスポーツは同時進行で観るしかなかった。
それを見る場所は、球場とお茶の間(ブラウン管でもいいですが)と限られていた。
それが、中継ツールの多様化により、各々が都合の良い時間に見ることができるようになったのだ。
ある人は残業を終えて、自宅にたどり着き、ビールを抜いて(古いな)試合開始から追っかける。
ある人は呑み会の席で、スマホの中継を見る。
そんな現代にも、唯一、昔ながらのライブを満喫できる場所。
それが試合が行われている球場なのである。
球場では、CM(攻守交代)の時間は飛ばせない。
見たくないからと言って、味方の守備も飛ばせない。
贔屓チームのピンチも飛ばせない。
試合が行われている3時間前後。
歓喜、落胆、失望
あらゆる感情に向き合い、ある時は天に昇り、ある時は地獄に落ちなければならない。
その葛藤こそが「球場に足を運ぶ」ことの醍醐味と言えるだろう。
葛藤に耐えるためには、希望が必要だ。
だが、優勝が決まってしまった後の消化試合。
希望はどこにあるのか?
贔屓チームが勝つに越したことはないが、勝つことを渇望するほどではない。
数日後にクライマックスで対戦することに備えて、相手戦力を分析しても仕方ない。
クライマックスで勝ち上がることに意味があるのは、興行収入で生業う人たちにとってだけ。
多くのファンにとって、恐らく選手にとっても、意味はない。
いや、50歩譲って意味があるとしても、大義がない。
現行ルールで大義があるのは「リーグ優勝」だけである。
これに、両リーグ首位チーム同士が出場した場合に限り「日本シリーズ優勝」が加わる。
数日後にクライマックスで対戦することに備えて、相手戦力を分析しても仕方ない。
クライマックスで勝ち上がることに意味があるのは、興行収入で生業う人たちにとってだけ。
多くのファンにとって、恐らく選手にとっても、意味はない。
いや、50歩譲って意味があるとしても、大義がない。
現行ルールで大義があるのは「リーグ優勝」だけである。
これに、両リーグ首位チーム同士が出場した場合に限り「日本シリーズ優勝」が加わる。
巨人の選手を見るということが、夢の世界の向こうにあるような気がしていた夢見る頃とは違う。
試合中の球場にライブで居ることが嬉しかった、あの頃の気持ちに戻れない。
いや、戻るしかないんだろう。
今日も世界が平和で、日本が無事で、こうしてたくさんの人が可処分所得の中からチケット代を払って、足を運んでいる。
その人たちに向けて必死にビールや弁当を売る人たちも元気だ。
水道橋のマクドナルドには並ばない。
インターネットで調べておいて、球場内で名物弁当を買おう。
ジャビット弁当(巾着付き)
崎陽軒の弁当
弁当だけで、いったい何種類あるんだ!
試合は日曜日なので、翌日は仕事。
いつもならば、ワンサイドの負け試合でもない限り、席を立つことはないが、消化試合ならば「9時頃を目処に」と決めておいて帰ることもできる。
主宰者から配布されたオレンジユニフォームを着て、讀賣新聞からもらった小降りのオレンジハンカチをたくさん振ることができるといい。
できれば5回くらい振りたいところだ。
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