スーパースターへの道を選んだ高橋由伸
左手にミサンガをつけて会見に臨んだ高橋由伸は、にこりともせずに200人の報道陣の前に座っていた。
慶応の後藤監督は穏やかに応対する左側で、仏頂面の高橋由伸が宙を見据えている。
まるでドラフト会議当日、意中ではない球団から強行指名された選手のような表情である。
その日、僕は愛知県の尾張地区で飛び込みの営業に回っていた。
朝10時に会見が行われ、そこで逆指名球団が発表される。
当時はインターネットはまだ普及前。
携帯電話は持っていたが、スマホのように最新のニュースが配信されるわけでもない。
それはある意味で、気が散らないでよかった。
もしも、情報入手手段があったならば、営業のクルマをどこかに停めて、それに見入っていたかも知れない。
当日のスポーツ紙朝刊は「ヤクルト有力」を伝えていた。
巨人にはほとんど脈がない。
人はあまりに望みが薄い時にこそ、返って期待が持てることがある。
ダメで元々。
お昼休み、巨人ファンの同僚である石ちゃんに電話を入れた。
彼はホンジャマカの石塚に似ていることで、皆から石ちゃんと呼ばれ、慕われていた。
ナゴヤでは土曜の夜にホンジャマカが生放送のテレビ番組を持っていて、彼らは大変人気があった。
「まいう~」で有名になる遙か前の時代だ。
どう?どこにいくかわかった?
すると、石ちゃんがもったい付けて言う。
「どこだと思いますか?」
その言葉ですべてを理解した。
もしかして?
「ぴんぽん~」
その頃、宮崎キャンプでサードコンバートをアピールしていたのが、1つ年上、プロでは5年先輩の松井秀喜である。
高橋由伸、巨人逆指名の報を宮崎で聞いた松井秀喜はこうコメントした。
「スターにはどの球団でもなれるけど、スーパースターには巨人でしかなれない」
会見の数時間前、高橋由伸は家族会議で、ヤクルト、西武への入団を主張していた。
元々、巨人志望だったが、プレッシャーが大きい巨人で大成できるのかという迷いから、違う選択肢を選ぼうとしていた。
それを翻意させたのは巨人ファンの父・重衛さん。
高橋由伸は確かに会見で笑わなかった。
それは、直前まで秋波を送っていたヤクルト、西武への配慮だったと推測する。
彼はスーパースターへの道を歩む覚悟を決めたのである。
1975年4月3日
千葉県生まれ。
大学入学時に浪人したため、1年入団が遅い上原浩治と同年月日生まれ。
2年入団が遅い高橋尚成とは1日違い。
1997年11月
桐蔭学園から慶応大へ進み、逆指名1位で巨人に入団。
スーパースター候補に対して、本来ならば一桁の背番号を割り当てたかったのだが、生憎空き番号がなく「24」に決まった。
1998年3月1日
オープン戦初戦で先発デビュー。
長嶋監督は公式戦さながらのベストメンバーを組んだ。
以下はその先発オーダーである。
1 【二】仁志
2 【左】清水
3 【一】清原
4 【中】松井
5 【三】石井
6 【右】高橋
7 【DH】ダンカン
8 【捕】杉山
9 【遊】川相
*投手は岡島
見るからに"打てそう"な、昔ながらの強打の巨人打線。
それは悪く言えば"打つしかできなさそうな"打線でもある。
古きを温ねて新しきを知る。
打って、走って、守れる。
原辰徳が10年の歳月をかけ、三拍子揃ったチームに作り替えたのである。
つづく
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