高橋由伸が巨人ファンから愛され始めた「できごと」
高橋由伸はこれまで巨人にいたスーパースターの中でも特に守備が上手かった。
近年、原辰徳は"守れない外野"を使わなくなったため高橋由伸が目立たなくなったが、彼は元々強肩の外野手だ。
俊足で守備範囲が広いうえに、フェンスを恐れずに突っこむため、数々のピンチを救った。
顔は優しいが、守備に於いて彼はまさにウルフだった。
走塁については「速い」というイメージがついているが、入団当初、報知新聞評論家である原辰徳との対談で本人はこう語っている。
「周りが言っているほど速くないんですけど・・周りが足があるとか言ってしまっているんで、これからどうごまかしていこうかと」
決して遅くはないが、トップクラスの俊足というわけではなかったのである。
この対談 *1 で原辰徳は背番号について、ユーモアに富む発言をしている。
「できれば背番号8をあげたかったね。中畑清の24番より8番の方がいいかも知れないね。仁志と変えようか。"にし"で"24"なら、ちょうどいい」
"にしが8"と九九みたいでゴロがいいと思っていたが、にし=24というのは、当時考えもしなかった。
当時、これを読んだ仁志が気を悪くしないかと、冷や冷やしたものだ。
(仁志にとってのベストシーズンは2000年。高橋由伸3年めのシーズンなので、それは杞憂だった)
高橋由伸が慶應大学でつけていたのは主将の番号「10」
巨人の「24」は中畑清引退後、大森剛、石毛浩史、そして直前はカステヤーノに引き継がれていた。
*1「高橋由伸新世紀へかけろ大アーチ」報知新聞社
2006年
原辰徳監督復帰の1年め。
過去2年、故障続きだった高橋由伸は、春のWBCに召集されなかった。
ライトに亀井(または矢野)が入りセンターにコンバート。
しかしまたもや、ダイビングキャッチで脇腹を痛め1か月離脱している。
高橋由伸が巨人を逆指名した日、松井秀喜は宮崎キャンプで、本来の守備位置サードへのコンバートを志願していた。
そこで、サード松井、ファースト高橋由伸というかつてのONの再現を望む論調もあった。
しかし、松井の三塁守備はプロとしては並。
(当時、正三塁手は近鉄から来た石井)
一塁には清原がいた。
もしも、それが実現していれば、少なくとも外野守備で怪我を重ねた高橋由伸の歴史は、ずいぶんと違ったものになっていただろう。
そして「高橋由伸で勝った1年」を未だ作れないまま、FA獲得の2007年を迎える。
2007年
開幕から常時1番に入る。
FA権獲得。
ここで巨人ファンを感激させたコメント「ずっと巨人に居たい」が出る。
それは、松井秀喜に続いて逃げられるものと、心の準備を整えていた巨人ファンには意外なものだった。
そして、巨人ファンの気持ちを動かした。
この時を境に、高橋由伸は巨人ファンの誰からも愛される選手となったのである。
2007年7月26日、1シーズンのプロ野球新記録(9本)となる先頭打者本塁打。
35本塁打で本塁打王に1本届かず。
高橋由伸は打撃三冠のタイトルを一度も手にしていない。
それは能力が不足していたからではなく、故障離脱が多かったためだ。
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