残念な「仁志が8」の後、指導者原辰徳の時代が訪れる
1995年秋
現役引退セレモニーのマイクでは「この夢には続きがあります」と涙ながらに話した原辰徳。
それが巨人監督を指していることは自明だ。
しかし、その姿に指導者としての期待感は持てなかった。
それは原が醸し出していた、真っ直ぐな(わかりやすいとも言う)空気による。
1990年代といえば野村克也率いるヤクルトが最強のdecade。
パリーグでは広岡の流れを組む森率いる西武。
競技者としての資質には溢れている原だが、権謀術数に長けた先輩と較べると見劣りがしたのだ。
1996年
引退の翌年から、原辰徳はNHKプロ野球解説者、ニュースキャスターとなる。
初めてブラウン管(当時はまだブラウン管)の向こうに原辰徳を見た時「暗」のイメージが一気に「明」に変わったと感じた。
もう打席に立ち、ポップフライや「止めたバット」を打たなくていい。
大学を卒業して社会に出た"勉強嫌いな"若者が、もう勉強しなくていいんだと、活き活きと働き始めるように、ユニフォームを脱いだ途端 「打てない4番」のマイナスイメージが消えた。
元来、二枚目の顔立ち。滑舌のいい語り口。
それは、とてもTVに映えた。
1997年
1996年シーズン、リーグ優勝したものの、日本シリーズでイチローが居たオリックスに1勝止まり。
明けた1997年はヤクルトに覇権を譲った。
シーズン終了後、巨人は原に二軍打撃コーチ就任を要請したが辞退した。
原辰徳の「8」は、原引退と入れ違いで入団した原の大ファンという仁志敏久が引き継いだ。
(1995年ドラフト2位)
それはかつて、高田繁と入れ違いで原辰徳が引き継いだ時の再現だ。
九九で「二四が八」というくらいで、仁志が8は彼にとってこれ以上ない僥倖だったはず。
1997年以降、セカンドのレギュラーに定着した仁志は、打者によって極端に守備位置を変える。
「やられた!」と思ってカメラが切り替わると、仁志が正面で捕っている。
「何もなかったように正面で捕るのがファインプレー」という彼の守備はファンを驚かせたものだ。
1999年
原辰徳が野手総合コーチとして巨人復帰。背番号80。
2000年シーズン。この年は唯一の日本シリーズ「ON対決」で長嶋巨人が勝利した年。
ダイエーが日本シリーズ日程に福岡ドームを予約しておらず、3戦めの後に休養日があるという変則日程になった年だ。
仁志はレギュラーシーズンから日本シリーズ、挙げ句は日米オールスターまで全試合に1番打者として出場。
シーズンでは首位打者の金城に次ぐ安打数を記録。
2連敗で迎えた日本シリーズ3戦では、流れを変える美技。
(巨人は第3戦から4連勝)
日米戦ではメジャーの投手を打ち崩して日本人最高打率を残した。
これが、仁志にとってのベスト・シーズン。
しかし、その「明」の時代は長く続かなかった。
2002年には清水に指定席の「1番」を明け渡し、下位打線に常駐。
2004年にはFA宣言してMLB移籍を試みたが、採用がなく巨人と再契約。
2006年シーズンオフにトレードを希望。
小田嶋正邦と交換で横浜に移籍。
2008年シーズン終了後、横浜を解雇。
2010年、米国独立リーグでプレーしていたが故障のため引退。
原辰徳の「8」を燦然と輝かせてくれるとばかり思っていた仁志が8は、巨人ファンを失望させた。
2001年オフ
原辰徳はコーチとして3シーズンを経た後、長嶋監督の後継者として第14代監督就任。
背番号83
直後のドラフトでは、1位指名した寺原を外し、外れ1位で真田裕貴を指名した。
2002年
監督としての初シーズン。
意外と堅実な采配、目配りの細かい起用でリーグ優勝。
松井秀喜はレギュラーシーズンで50本のホームランを打った。
日本シリーズでは、80年代にはあれだけ歯が立たなかった西武を、(日本シリーズ)球団史上初の4-0で破り日本一。
原辰徳のイメージは特が付くほど「明」を極めたが、それもつかの間。
西武に圧勝したことが、返ってよくなかったのか松井秀喜がFAでMLB移籍を決断。
巨人ファンは天国から地獄へ突き落とされた。
松井本人が移籍会見で述べたように、それは裏切り者以外の何者でもない。
順風満帆にスタートしたはずだった原の監督生活は、それを機に一気に「暗」へ転げ落ちていった。
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