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2015年10月16日 (金)

透明人間になりたかったがなってみるとそうでもない

子供の頃、学校の図書館に入り浸っていた。
漫画しか読まない松坂大輔でさえ、そう言うくらいだから、世の中には「自称・図書館小僧」はあまた居るに違いない。

だが、僕の場合は本当に居た。
お昼休みの図書館にもいたが、放課後、誰も居ない図書館にも居た。

盆地にある田舎のその学校では、図書カードが全員分、誰でも手に取れるよう入口に置いてあった。
そこには借りた本が記されている。
たくさん借りた人のカードはホッチキスで留められて2枚以上になっている。


僕は学校で一番、本を借りる生徒になりたくて、よく本を読んでいる6年生のAさんや、5年生のBさんのカードを見ては冊数を確認していた。
(ライバルはすべて、女子だった)
何を読んでいるかということには関心がないので見ていない。


最近、村上春樹の出身高校の図書館から貸出カードが流出。それを神戸新聞が掲載するという出来事があった。

日本憲法は国民に対して思想・信条の自由を保証しているため、コンピューター管理となった現代では、図書館の貸出履歴は返却と同時に削除される。
だが、貸出カードという紙で管理されていた時代は、後生大事に保存していた図書館があったのである。


ちなみに神戸新聞は「村上春樹は公人であり、村上春樹研究の役に立つから、公開は問題ない」という立場をとっているという。
恐らく、図書館に関する諸制度を調べたことがない人が言っているのだろう。
"神戸新聞による憲法への挑戦に反対するストライキ"というものがあったら、参加したいものである。


子供の頃、他人の読書履歴を見ることが御法度であることは知らなかったが、僕はただ冊数(というよりカードの枚数)だけが気がかりだった。


「学校で一番本を借りている生徒」になりたい。
今思えば、おかしなことに拘っていたものだが、子供心にそれは真剣なものだった。
冊数をかせぐためには、低学年向けの絵本まで借りて帰った。

ある時、絵本を小脇に抱えて下校していて、小学校一年生のみーちゃんに「あんな本読んでる~」と指を指された時は「おい、言うな しーっ」と諫めた。
その恥ずかしさは強く心に刻まれて、それを今でも覚えているほどだ。


シャーロック・ホームズ全集は、図書館にあるものは全て読んだ。
「小公子」や「ファーブル昆虫記」といった名作児童文学は自宅にも買い置きがあったのだが、推理ものや冒険もの、ミステリーの類は父が買ってくれなかったからだ。

その数年後「刑事コロンボ」が流行ったこと、そして現代「相棒」がロングランになっている原点は、ホームズにあると今でも信じている。


「とうめいにんげん」シリーズは、食い入るように読んだ。
人が透明になるなんて、本当に可能なのだろうか?
小学生の僕は真剣に考えた。

もしも、とうめいにんげんになったら・・
いろいろなことを妄想した。
恥ずかしくて書けないようなこともたくさん。


それから10年後「数学II」の先生が、ポルノ映画「透明人間」を見てきたという話をきかせてくれた。
「内容?まぁ、君たちが想像するようなものだよ」
「でも、最後はトラックにひかれてしまうんだけどね」

悲しい結末だったようだ。


かつて、とうめいにんげんになりたかった。
でも大人になり、歳を取ると、幼い頃の憧れが可笑しい。

会社で狭い廊下を歩いていると、相手がぶつかっていく。
お偉いさんは僕の前を素通りして、選ばれし者の元へと通う。
実際に透明人間になってみると、その存在の軽さが可笑しい。

俺を認めろ
などと、気色ばむ時期はもう過ぎた。

透明人間は、見えない人には見えない。
見える人には見える。

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