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2015年11月28日 (土)

2度とカラオケに行きたくない人

「これ歌うの初めて」
それは、つまり、オレの実力じゃないよと言いたいのか。
もっと歌い込めば、オレ様の素敵な声が、シンコペーションと相まって、おまいらを魅了するところだぜ。とでも言いたいのか。

誰もが心で言っている。
「またかよ」

曲が始まる。
タイトルが表示される。
えぇっ誰々?
(2人しか居ないんだけど)
そこで、軽く歯を食いしばって言う
「ちょっと練習しよう」

家でやれよ。
とは言わない。だってここは、互いの音楽観を尊重する場所、カラオケボックスだから。
それに、いちいち悪態をついていたら、世にも希な「カラオケ友だち」がいなくなってしまう。
50代がゲスの極み乙女。に我慢を重ねるように、ここは友だちにも我慢をしなければならない。

いちいち言うな
黙って歌え!

今度からは、こんな風に明るくツッコミを入れてみようかとも思う。



「これは思い出の曲なんです」
と玉置宏かと思うようなMCを入れた後に、しっとりと歌い上げ、皆からぱらぱらと拍手を浴びる。

「この曲は集団就職で東京に来た時にバスの中で歌ったんです」
さすがにそんな人はいないが、一曲歌ったあとに思い出を語る人がいる。
そこに、そうなんですねとポジティブ・リスニングで符丁を合わすのが世間の暖かさというものだろうが、時は未来から過去に流れているというのに、過去へのタイムマシンに一緒に乗せられては、明日への道筋を見失ってしまいそうだ。

できれば、楽しいカラオケボックスという場所では、もっと、笑い飛ばせるような明るいネタを出して欲しい。



ゴルフでスコアをごまかす人がそうであるように、カラオケにも「この人とは2度と往きたくない」という閾値を超える行為がある。

それは、人が歌っている時に一生懸命、次の曲を探しているとか、拍手をしないといった協調性を欠く行為ではない。
むしろ、その逆で、本人は協調しているつもりなのだが、それが不評和音を奏でているというものだ。


それは、人が歌っている時に発揮される。

Aメロが始まり歌が始まる。
その唄に合うキーを探りながら、アジャストしようとしている時

ふにゃ~
突然、音階が変わる。
「高いですね」と言ったかと思うと、歌い手に断りもなくコントローラーを操作して、キーを下げているのだ。

あんたはカラオケの先生か

いったい、どんな権利があったら、人が頼みもしないのにキーを変えていいのか。


かと思うと「二番、ぼく」とか言って勝手に歌い始める。
ここで
「やめてください。これは僕が歌いたくて入れた曲なんですから、最後まで歌わせてください。あなたが歌いたいならば、それはまた別の機会にして、この場では、人が入れた唄を聴くのがマナーではないですか?」
といった正論を言った人をまだ知らない。

僕が世界中でその第一号になってもいいのだが。。


「二番」はとらないまでも、もう一本のマイクをとってコーラスを入れられるのも辛い。
だいたい、そういう人はリズム感が悪い。
主旋律が歌いやすいようなコーラスを入れてくれる人は、そもそもそんな勝手なことはしないものだからだ。


あとは希にカラオケボックスを居酒屋と勘違いしている人が居る。
確かに店舗側も、単価を上げるためにフードメニューを取らせようと、居酒屋まがいのカラー写真メニューを置いている。
だからといって、カラオケの〆にお茶漬けを食うか?


お互いの音楽観を尊重し、妙な協調をしない。
それもカラオケボックスの不文律だ。


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