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2015年11月16日 (月)

ブログを書くために旅のメモをとるのは、もうやめたい

「9時27分 総武線 運転再開」
情報スクリーンでは、総武線のニュース

9:37
5番線から出ていったわかしお3号に続いて、6番線から出発。

9:46
「誉田」
誉めるに田と書いて"ほんだ"
これはなかなか読めない。
1896年1月、房総鉄道の野田駅として開業。
1914年に現在の名前に改称された。

せっかくだから、文庫本を少しでも読もう^ ^
在来線でおよそ2時間。
旅の風情を楽しもうとこの本を、この日読むことに決めていた。



左側のロングシートが見える、進行方向右側の町並み。
高い建物が減った。
はるか遠くに地平線がみえる
造成中の荒れ地に工事会社のトラックが点在しているが、まだ人影は見あたらない。



9:51
「土気」
土の気持ちと書いて"とけ"と読む。
1896年11月、房総鉄道の駅として開業。
外房線では最も標高が高い駅。
その駅名は「峠(とうげ)」が「とけ」に転じたとされている。

のぼりホームでは、パックを背負った若者が新聞に見入っている。
頑なな相手に気配りをした首脳会談、あるいは金融緩和?
真剣な眼差しだ。


9:56
大網
あたりに建造物ほとんどなくなり、車窓に自然風景が広がる。
のぼりホームの列車は、これから東京へ行く人で混み合っているが、こっちの車両の乗客は5人ほどに減っている。


車窓から大型遊技店の看板がみえる。
指輪を落としたら、店員がゴミ箱から見つけてくれて感動するというテレビCMを流していた会社だ。
手を洗った時に指輪を外すことは想像できるが、それがゴミ箱から見つかるというのはムリがあると思う。


目で見たものごと、考えたことをその都度メモにとっていると、今日は何をしにきたのか?という自責の念にかられる。

日常を離れ、見知らぬ町に列車で来た。
目で見るもの、感じたことを脳に記憶していけばいい。
物心二元論ではそれを、心に刻むと言う。

書いておかないと忘れるのではないか?という不安があるから書く。
確かに思いついたアイデアを書き留めなかったことで、あとから想い出せなかったという経験がある。
だから、自分の脳が信じられない。


村上春樹がその執筆についてまとめた「職業としての小説家」そしてQ&Aをまとめた「村上さんのところ」によると、村上春樹は思いついたことを一切書き留めていないという。

一方、高校の先輩村上龍は思いついたアイデアを書き留めるために、家じゅうのいたる所にメモ紙とペンが置いてあるとテレビ番組で語っていた。

自分は今のところ後者なのだが、前者に憧れる。
キーワードを残しておくと、そこから芋づる式に想い出し、書くことができる。
ただ、それは読み応えのあるものなのだろうか。

できれば、メモをとらないでも書けるのが望ましい。
それだけ目の前の一分に集中することができる。
メモがなくても書けることの方が、人が読みたくなるようなことなのではないかと、今は考えている。


車窓にはすすきが広がっている。
ただ、それ以上でも以下でもない景色。
(これは"すすき"とメモしておいた。2週間で忘れていた)

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