名医は患者が見た時はじめて存在する。
手術後3日め
6:00
「尿の管を外します」
看護師の江副さんがやって来た。
本当にこう言ったか、正確には覚えていない。
外す時、なんとその管はちんちんの先からすぽっと抜かれた。
てっきり鼠径部(そけいぶ)のどこかに針で刺さっていると思っていたのだ。
おぅ
なんとも初めての感覚
まさか、ちんちんに直接入っていたとは。。
なにはともあれ、これで一歩前進。
自分の意志でトイレに行く自由を手に入れた。
健康体を持つ人間かどうか、これはその分水嶺となる基本的な権利だ。
7:50
主治医の牧野医師がやって来た。
先生と会うのは手術以来、いや手術の時僕は寝ていたので、手術前日以来だ。
「あと1週間もすれば、よくなりますよ」
よけいな愛想のない淡々とした笑顔でそういうと、彼は白衣を翻して、9時から始まる外来の部屋へと先を急いだ。
こうして一声かけに来てくれるとは、ありがたいことだ。
患者は執刀医のメスさばきをこの目で見ることはない。
見ているのは、コンピューター画面のデータを見ながら、治療方針を淡々と説明する横顔だけ。
あの高等な技術を要する離れ業を、この人がやっているということがイメージしづらい。
概念として名医であることはわかるのだが、この目で見ていないものは認識できない。
医者は視認して初めて名医なのである。
そういう意味において、患者が執刀医を名医と認めるケースがあるとすれば、麻酔が使えない手術のケースだけだろう。
8:10
「小」意が訪れて、手術後初めての自力トイレへ立つ。
だが、身体にはまだいろいろなものがつながっていて、迂闊に立ち上がれない。
ナースコールで看護師さんに来てもらい、レクチャーを受ける。
心拍センサーは携帯できるハンディターミナルに換えてもらい、病衣のポケットにしまう。
あとは点滴をがらがらと押しながら、ゆっくりと歩を進める。
まるまる3日間、自分の足で歩かなかったのは、まだ僕が"はいはい"をして母親を喜ばせていた頃以来だろう。
点滴スタンドが杖代わりになるので、それほど不安はないが、転倒したら一大事なので、手探りいや足探りだ。
トイレには計量器が備え付けてあり、そこには「千葉龍一」とテプラで名前を貼ったプラスチックカップ。
カップ置き場は4つあるが、カップは1つだけ。
この時は、他の人の分は複数あるトイレにそれぞれ置き分けられているのだろうと思っていた。
片手はカップを持ち、片手はパジャマを下げて、点滴の管が絡みそうになるのを肘で制して、なかなか忙しい用便だ。
久しぶりの自力小便。
この時のために膀胱が大量に備蓄していたのか、すでにカップの7分めを超えているというのになかなか停まらない。
このまま停まらなかったら、一時停止しなければならない。
(これはけっこう得意)
カップの上限まであと1cmとなり、目が丸くなったところで、ようやく放水はせき止められた。
511cc
カップから計量器に内容物を投入すると、デジタルで表示される。
メモ用紙を持って来るわけにもいかないので、暗記しなければならない。
部屋に戻って手帳に書き留めるまでの短期記憶。
まさかMCIではあるまいが、どうもこうした記憶が苦手になってきている。
9:30
待望の耳鼻科からお声がかかる。
いつものヘルパーさんが耳鼻科フロアまで、付き添ってくれる。
「ほんとに大丈夫ですか?」
と訝るヘルパーさんに、帰りのお迎えは断った。
のろのろと歩いている入院患者が居れば、外来の患者も道を譲ってくれるだろう。
とこの時は考えていた。
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