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2015年12月 6日 (日)

身体から全ての管が外れた!

11:00
今朝、長井医師が言っていたように、左手の点滴針が抜けた。
一つずつ体につながった管が減り、自由、ふだんが近くなってきた。


「大部屋が空いていないんですよ」
カーテンの向こうで看護師の深田さんの声がする。
はす向かいのベッドに、新人さんが1人入ってきたようだ。

今朝、前の人が退院していったばかりだというのに。
堂下総合病院の脳神経外科は満員御礼、この入院中、1日たりとも相部屋のベッドが空くことはなかった。


11:05
頻度が低くなったとはいえ、依然として血の塊は落ちてきている。
ティッシュに吐き出しては、塊の大きさや量を目検する。
ここに来て、赤い血の混じった唾液に変わってきた。
黒くない。
これまでは塊の色がどす黒かった。


13:15
看護師の深田さんが来て、鼻に詰めた綿球を換えてくれる。
予備を置いておきますね、彼女はそう言って「電子線滅菌済テマカットカップ入り綿球S」を1カップ置いていった。
これで呼吸が苦しくなった時に自分で替えることができる。


15:00
今日2度めの長井医師がやってきて、そけい部の管が抜かれた。
ずっと、尿の通り道だと勘違いしていた管だ。
恐らく、そこからも点滴が入っていたのだろう。

その管はなんだったんですか?といちいち聞くほど、この時はまだ好奇心が戻っていなかった。
これですべての管は体から取り払われた。
残っているのは心拍センサーのみとなった。


リハビリがてら、少し出歩いてもいいですか?
「廊下くらいだったらいいですよ。遠くに行く時はナースセンターに相談してくださいね」

深田さんから即答で許可が出たので、手術後、トイレ以外では初めて部屋を出て、スマホメールをする。


お見舞に来てくれる予定の中村君へ
"今ようやく出歩けるようになりました。経過は順調です。でも鼻が塞がっているので苦しい。取り急ぎ無事連絡です"
   ↓
中村君からは「手術は安全なものと聞いていたのに、三日も連絡がないので昏睡状態に陥ったかと思いました」と返信が来た。
こうして、ただ1人でも心配して待ってくれている友だちがいることは貴重なことだ。


実家の姉には、手術のことは伏せている。
3日ぶりに電源を入れると、夏の七回忌について日程打診メールが届いていた。

"返信遅くなりました。3日前に下垂体の腫瘍をとる手術をして今ようやく出歩けるようになりました。経過は順調です。七回忌は**日を希望します。

それから、姉は何度か電話をくれたようだったが、なにせここは病院なのでほとんどの時間帯は電源を切っており、話すことはできなかった。
驚いたには違いないが、心配をかけまいと予め知らせなかった選択は正しかったと思う。

自分も心配だったら、誰かとその不安を共有したくなったかも知れないが、自分が心配していないのに、他人にだけ心配させるのは変だと思ったのである。


スマホでこの三日間見ていなかったNPBの結果を見る。
巨人は●○●
見なくて幸いだったという不幸な結果だ。


呼吸は相変わらず苦しいが、ベッドのリクライニングを起こして過ごすくらいに気力が戻っている。
ここで、いま1度手術の説明書を読み返す。
重篤な合併症の可能性に言及した書面を、手術前に詳しく読む気はしなかった。

改めて読むと、深刻な内容が書かれている。
これを、僕の手術中に読んだ家族は「けっこう大変な手術なんだと驚いた」らしい。


今は日々安静
せっかくの完璧な手術を大切に仕上げよう。


手術後3日め(月曜日)
その日、ほぼ日手帳はテキストが7割ほど埋まっている。
1日、2日めは3割ほどだったから、文章量から回復ぶりがわかる。

しかし当日の自分はとてもそうは思っていない。
この日のヘッダーをこう結んでいる

"終日左鼻詰まっている"

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