パジャマの女子大生と向かい合う緊張の午後
ケイちゃんとひょうちゃんの爆音トークを避けて談話室へ逃れている。
5つあるテーブルには、それぞれ1人ずつ患者が座り、思い思いにテレビをみたり本を読んでいる。
「ここ座っていいですか?」
推定年齢20歳、大学生然とした女の子が向かいに座りノートパソコンを広げる。
僕は世界最小のノートパソコンを広げて、夏休みの計画を立てている。
ノートパソコンをのぞき込む同士が、ついたてもなく向かい合っているのは異様だ。
会社やスタバだったら違和感はないだろうが、ここは病棟であり、2人ともパジャマを羽織っている。
とても近しい者どうしでなければ、パジャマで至近距離に座ることはない。
ずいぶん歳が離れているとはいえ、見知らぬ男の前でパジャマ姿をさらしていることを彼女は平気なのだろうか。
そんなことを考えていたら緊張してきた。
緊張は相手にも伝わるものだ。これではいけない。
「目の前の一分に集中する」
気持ちをリセットするマジックワードを思い起こし、夏休みの計画に集中した。
部屋に戻ると、既にケイちゃんは帰宅した後。
ケイちゃんとはもう2度と会うことはないだろう。
西日が入って部屋が明るい。
ベッドが廊下側ではなくて窓際だったら、ずいぶん入院生活の質は上がったことだろう。
太陽に当たって過ごすのと、日陰で過ごすのではセロトニンを受ける量が格段に違う。
僕は明日にはここから居なくなるからいい。
長く入院している患者には、できるだけ窓際を宛がってあげたい。
周囲は「明日退院」で動いていることをひしひしと感じているのだが、本人が聞いていない。
互いに伝えたつもりになっていて、実はとっくに決まっているということなのか。
あのぉ、僕って明日退院なんですか?
夕飯の時に看護師さんにそれとなく聞いてみると19時を回ってから主治医の牧野医師がやって来た。
「明日退院で」
いつも彼の言葉は単刀直入だ。
初めて外来に来た時も、椅子に座るなり「手術は避けられませんね」と告げられて、1分以内に手術日が決まった。
結論を先にいう主義なのだ。
僕も、見習わなければならない。
「すぐに下垂体が落ちないよう綿が詰めてあります。いずれ綿が溶けて落ちてきます。ホルモンの数値が上がってこない場合、投薬で補う必要があります。(退院処方で出ている)コートリルは要らなくなるまで、きちんとのんでください。だるくてしんどいという場合もありますが、投薬は必ずしもやらなくてよいものです。あとは外来で診ていきます」
退院から半年経過時点で、朝起きるのが辛く、身体がとても疲れていると感じる日々が続いた。
果たしてそれは医師が言うような状態だったのか、単に仕事がきつかったのか、真相はわからない。
「ずいぶん自信がついたでしょ?目も明るくなってきたでしょ?もっとよくなりますよ。(摘出した)腫瘍は検査中でまだ最終回答が出ていませんが、恐らく下垂体腺腫(良性)でよいと思います」
牧野医師の説明には一点の曇りもない。
現在の状況、これから僕が立ち向かう状況。
そのありのままが、箇条書きのように目の前にある。
個々には、もう少し詳しい説明が欲しいこともあるが、それは追々自分でも調べ、また外来で確認していけばよいことだ。
忙しいなか、説明にきてくださった主治医に恐縮すると共に、入院生活から「退院後」に向けて、気持ちの切替スイッチが入った瞬間だった。
退院ですと言われて喜ばない患者は居ない。
もちろん退院は嬉しいし、牧野医師には笑顔を見せるのだが、心から僥倖ととらえているわけではない。
もしもこれが、一か月、二か月となり、病棟が殺風景に感じ始めていたら、心から嬉しいだろう。
日本人の九割は病院で死ぬという。
家は誰にとっても恋しいもので、あって欲しい。
入院生活最後の晩。
夜中に1度だけ目覚め、綿球を外して再び床につくと、朝まで目覚めなかった。
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