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2016年2月17日 (水)

自分はこういうタイプです

「昭和」という時台が安定的に続いていた頃、僕は社会に出て営業職に就いた。
父親からは「死ぬ気で働け」と言われていたが、そう言われなくとも働くことは快楽に満ちていた。

学校にいた頃、日々の「勉強」は苦痛でしかたなかった。
それに比べると「会社」というところでする「仕事」というのは、なんと楽しいことか。

歳を重ねた今ならば「日々の目的が明確」であるとか「努力した分だけ定量評価される」といった理由を挙げられるが、その時は拙い言葉だが、ただただ「楽しかった」
まるで、餅つきイベントに参加した小学生が、NHKにマイクを向けられた時のように。



「自分は大所(おおどころ)で勝負するタイプです」

そんな僕に立ちはだかったのは、2年先輩のこんな言葉だった。
僕の仕事はといえば、ただひたすらに多くの販売店を訪問する。
訪問できない日は、電話をかける。

「営業スタイル」「どぶ板営業」そんな言葉は知らなかったので、これこそが営業というものだと思っていた。
地道な努力は実り、担当していたエリアからは、かつてない数字が挙がっていた。


その日は月に一度の販売会議。
支店長が僕の営業月報をかざしながら評論する。

「彼は新人だがよく頑張っている。接触店の裾野も広がっているし、こうして数字が出ている」

支店長は「どや顔」で新人の活躍を持ち上げると、返す刀で先輩に「どう思う?サトウ」と水を向けた。
サトウ先輩は即座にこう返した。

「自分は大所(おおどころ)で勝負するタイプです」


大所とは事業規模が大きく、販売金額がより多く見込める販売店のことだ。
先輩のサトウ氏は、大所の社長の懐に入り、大量受注を得る。
そこで大きな数字を捌けば、小口の販売店は相手にしなくても、ノルマをクリアできる。
それが自分の「スタイル」であり、自分はそういう「タイプ」の営業マンだと言い放ったのだ。


社会に出たばかりだった僕は、この言葉を聞き、彼に落胆した。
尊敬の念はここで失われ、二度と戻ることはなかった。
好き嫌いは元に戻ることがあっても、尊敬の念というのは元には戻らないようだ。


営業スタイルは、任されている市場により異なる。
そもそも「大所」が存在しない、小さい市場だってある。

また営業スタイルは、経験により進化していくものだ。

小口を「どぶ板」で回るには、努力する才能が必要だ。
そうした時代を経ずに、大先輩を真似て、いきなり「大所で勝負するタイプ」を目指す。
数十年後、その人にいったいどんな力が備わっているだろう?

高い学歴を引っさげて入社し「選ばれし者」としてのレールを歩めば「努力する才能」はなくとも、世の中を渡っていけるかも知れない。
だがそれを、後輩相手に見得を切ってどうする?

当然だが、彼の言葉を無言で聞き流した。
いや、もしかしたらお愛想で「そうですね。僕もそうなれるよう頑張ります」くらいは言ったかも知れない。


長い営業生活のなかで「大所で勝負するタイプ」と自称する輩が、もう1人いた。
スズキ君は大口の販売店を任されており、その売上げだけで「仕事の格好が付く」立場だった。

スズキ君は毎日、事務所に居た。
他の営業が出払った後も、1人だけパソコンに向かっていた。
夕方になると、大口販売店に出かけるか、先方の社長が支店にやって来る。
スズキ君は「社長、今日は大トロ、行きましょう!」などと支店じゅうに響きわたる大声を残して出かけていくのが常。
彼はその後、大変な苦労をする時代を迎えた。



誰がどんなタイプを目指そうが、他人のことは関係ない。
誰も、他人がどんなタイプか?という興味を持っていない。
自分がどんなタイプを目指そうが、そんなことは黙っておくもので、他人に見得を切ることではないのだ。


「自分は褒められて伸びるタイプです」
と言った時点で、多くの同僚から尊敬の念が失われ、恐らく二度と戻らない。

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