とんかつの歴史
東京はとんかつ屋が多い。
東京の人は知らないかもしれないが、とんかつに辛子が添えられて出るのは東京独特だ。
博多から上京して就職した僕は、はじめの一ヶ月、都心から離れた安ホテルに仮の宿を取り、毎日とんかつばかり食べていた。
他においしいと思えるものがなかったからだ。
博多は素材が食を支えている街。
そして、慣れ親しんだ西日本の味付けから、浜松を超えて東日本のエリアに移ったこともあったのだろう。
それは十数年後、博多から名古屋に移り住んだ時にも、繰り返された。
その時は、はじめの一ヶ月間、毎日「味噌かつ」ばかり食べていた。
美味しかったからだ(笑)
どえりゃーうまいでかんわ
などと言いつつ、毎日食べていたら一ヶ月で2kg太った。
「とんかつ」は豚肉に衣をつけて揚げたたべもの。
昭和40年代の代表的なごちそう。
とんかつの歴史
1872年
明治天皇が肉食を解禁、日本の肉食文化が始まる。
1899年
煉瓦亭が「ポークカツレツ」をメニューに載せる。
1921年
新宿の王ろじが「トンカツ」の名前でメニューに載せる。
「とんかつ」という名称の元祖としては他に、
1929年のぽんち軒
1932年の楽天(上野)
を挙げる文献もある。
とんかつは、豚(トン)+カットレットを合成して名付けられた。
カットレットとは、子牛の骨付きの切り身に、塩こしょうをして、小麦粉・卵黄・パン粉を付けて、バターで両面を焼いた料理。
豚のカットレットだからトンカットレット、略してとんかつである。
「昭和40年代のごちそう」だったとんかつだが、平成20年代の今はそうでもない。
子供達にごちそうと言えば?と尋ねれば「焼き肉」「ハンバーグ」「寿司」と言った答えが返ってくる。
それらに共通するのは、外食の人気メニューであり、家庭でも「冷食」「中食」で手軽に出せるということだ。
「とんかつ」は下ごしらえの手間、油を管理する手間。
通常の献立と比べれば、2倍の手間暇がかかる。
新しい油を投入しても、とんかつを5枚も揚げれば油の鮮度が落ちてしまい、6枚目のとんかつを割り当てられると、悲しい思いをする。
「まい泉」のようなとんかつ専門店で揚げてもらい中食しようとする。
揚げたての香りは、気絶するほど悩ましいが(Charか)帰宅して皿に盛った頃にはべしゃっとした残念な食べ物に変わっている。
「とんかつ」が家庭の食卓に乗ること自体が減っている。
それならば、とんかつファンは表へ出なければならない。
つづく
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