いよいよ、長崎オランダ村が再び動き出す
1980年代、博多に住んでいた僕らがドライブがてら出かけるところといえば「オランダ村」だった。
そこには、未だかつてない驚き、ときめき、くつろぎがあった。
その後、日本じゅうに国名を冠した「○○村」ができるのだが、その先駆けとなったのが「長崎オランダ村」である。
オランダ村を造ったのは、長崎ハウステンボスの創業者である神近義邦。
バブルの最中に東京の料亭が取得した広大な土地に、彼とその仲間が自ら切り開いて造った「村」だった。
1983年7月にオープン
自然の地形を利用した大村湾に出現したオランダの町並みは、人々を魅了した。
あまりに魅了し過ぎて、週末ともなると接続する国道は大渋滞。
そこで佐世保市が持て余していた針尾工業団地をオランダ村の駐車場にして、そこから海路、西彼町のオランダ村までピストン輸送しようという試みが浮上する。
神近義邦が針尾視察に訪れた際、思い立ったのが現在のハウステンボスである。
ハウステンボスはオランダ村のコンセプトを発展させて、オランダの国作りに学びながら、江戸の知恵、日本のハイテク技術で造った本物の「町」
その証拠にハウステンボスの住所は「佐世保市ハウステンボス町1-1」である。
公称4,000億円を投じたハウステンボス・コンセプトの前では、さすがのオランダ村も分が悪い。
1992年にハウステンボスがオープンした後も営業を続けていたが、やがて閑古鳥が鳴くようになり、2001年10月に閉園した。
かつて、人々の笑い声が響いた海辺のリゾート地は、鉄枠にはサビが浮き、エスカレーターには蜘蛛が巣を張り巡らしていった。
そんなオランダ村跡地に転機が訪れるのは、閉園2年後の2003年12月。
西彼杵郡西彼町が地域振興基金1億9400万円を充てて、16万4千平米の敷地を買収。
再利用に向けて動き出した。
2004年5月
長崎オランダ村復活音楽祭開催。
2005年3月19日
レストラン、ショッピング、ブライダルが三本柱とする商業施設「CAS ViLLAGE」がオープン。
しかし、7ヶ月後の10月3日、自己破産を申請して閉園した。
*ポートホールン長崎の坂本社長は、このことを「過去のことがあるから不安に思う人も多いと思う」と開業発表会見で語っている。
2010年
平成の大合併で西彼町が遷移した西海市が動き出す。
敷地のうち「Aゾーン」と呼ばれるエリアに市役所西彼総合支所を移転。
2012年5月23日
旧オランダ村を公園として無料公開。
2012年夏、2014年夏の二度、この「貸切の公園」を訪れた。
つづく
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