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2016年4月 7日 (木)

仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!

仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!
とは言ってきたけれど、それじゃちょっと違うんだよなぁ・・

僕らは「仮面ライダー旧1号の日」を制定し、「仮面ライダー旧1号ファンクラブ」を作ったが、まだ一度もバンダイ本社の前で座り込んだり「仮面ライダー旧1号をリメイクせよ!」とシュプレヒコールをあげたことも、チラシを撒いたこともない。



2016年3月26日、東映系映画館で「仮面ライダー1号」が封切られた。

1971年4月3日「仮面ライダー」放送開始から45周年の記念作品である。
その放送開始当初、第1話から13話まで登場したのが「仮面ライダー旧1号」

ただし、放送開始時点では「1号」という名前ではなかったし、2号を出す予定もなかった。
ところが、第10話「よみがえるコブラ男」編のエンディングで、藤岡弘がサイクロン号で走り去る際に重傷を負い、撮影ができなくなった。
当時、本郷猛こと藤岡弘はスタントマンを使わず、自分が「仮面ライダー」のコスチュームをまとい演じていたのだ。

11話から13話は藤岡弘が登場しない内容でつなぎ、第14話から急遽登場させたのが佐々木剛演じる「仮面ライダー2号」
当時、人気絶頂だった俳優、佐々木剛が演じたことで、視聴率が低迷していた「仮面ライダー」は一気に人気番組になった。



翌1972年元旦、怪我が癒えた藤岡弘が本編に復帰。
外国から帰国したという設定で「1号」が再登場する。
その風貌は手が加えられ、クラッシャーの緑が濃くなり、Cアイは真っ赤になった。
ただし、この時まだ「仮面ライダー旧1号」という呼称はない。
ただの「帰ってきた1号」である。

後にこの時のコスチュームは、ロケ地にちなみ「桜島1号」と呼称されるようになった。
それは、はじめファンが呼び始めたものが定着し、2000年代に入ってからは、コレクター商品でもその呼称が使われ始めた。



「旧1号」の呼称が登場するのは「1号」が完全リニューアルした後。
「2本線」が入り、明るい色彩に生まれ変わった「新1号」が出てからである。
それも、はじめはファンが呼び始めたものであり、それがコレクター商品にも使われるようになったのは、1997年頃だったと推察する。


当時「仮面ライダー」は19時台に放送されていたが、山口県にいた僕はそれを見ることができなかった。
当時、たいていの地方都市には民放が2局しかない。
山口県では"最新"の「仮面ライダー」は放送されておらず、平日夕方に数週間遅れで放送されていた。

一度だけ「仮面ライダー」の放送時間、1チャンネル(本当にチャンネル)に合わせてみたことがあるが、遠く福岡県のKBCから届く電波は微弱で、オープニングロゴと大写しになったライダーは、砂の嵐に沈んでいた。



僕らのまわりで「仮面ライダー」が話題になり始めたのは、放送から半年ほどが過ぎた頃。初めて見たのは「キノコモルグ」にライダー2号が負けて、ショッカー基地に拉致されて終わる回だった。
従って「仮面ライダー2号」から見はじめた、遅れてきたライダーファン。

大人になってから、リアルタイムでは見ていなかった「旧1号」の方に入れあげることになったのは、それが、子供心に「気になる存在」だったからだ。

つづく


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