教師生活30年で初めて手を挙げた教諭 殴られた僕がその30年後に思うこと
今日は給料日です。
毎月25日は大半の民間企業において、月給が振り込まれる日。
だと思いますが・・
違うっていう方いますか?
ちょっと手を挙げてみてください。
・・・・・
あぁけっこう居ますね
公務員が (笑)
僕は生まれてこの方、始めに給料日として覚えたのは21日でした。
父が地方公務員で学校教諭だったからです。
「教諭」は幼稚園・小・中・高校などの正規の教員。
「教師」は学問・技術などを教える人です。
マンガ「ど根性ガエル」でひろしの担任の町田先生が、激高すると「教師生活25年っ」というのが口癖でしたが、あれは正確に言うと「教諭生活25年」と言うべきところです。
どうでもいいことですが。
それで思い出したのですが、高校に入りたての頃、ちょっとした悪戯心で担任を怒らせてしまい、殴られたことがありました。
その時、その先生が「教師生活30年。生徒に手を挙げたのは初めてだ」と言われました。
僕は、30年もずっと温厚な教諭だったのに、そんな心にもない荒っぽいことをさせてしまい、申し訳ないと思っていたのですが、クラスメートの数人はその台詞を聞いて、必死に笑いをこらえていました。
あとで「なにが可笑しかったの?」と尋ねると「町田先生かと思った」のだそうです。
あれから数十年、滅多に思い出すことがなかった出来事ですが、いま風呂に入りながらこのことを思い返して、ふと考えました。
もし、あの時先生が
「こう見えても僕にも家庭があって、守らなければいけないものがあるんだ。生徒の君からみれば頼りない一教師かも知れない。それは僕の不徳のいたすところだ。だが、まだこの学級は始まったばかりだし、これから互いに会話をして、よりよい場所にしていかないか」
というようなことを言っていたら・・・
恐らく僕らは、頼りないヘボ教師改め、なかなか話せる、ひとかどのオトナと思っただろう。
もしかすると、それは伝説となり、卒業後も長く交流が続くような関係になったかも知れない。
だが、現実は「メガネをとれ!」と言われて僕が殴られて、周りは先生と僕に落胆した。
そして1年間にわたり、クラス運営は台風が通り過ぎた後の相浦の海岸のように、流れ着いた材木が浮かび、海水は濁り、よどんだものになった。
母校は佐世保でおこなう同窓会とは別に、東京でも年次総会をおこなう。
そこには、OB会からのリクエストで「人気教師」が遠く佐世保から招待される。
既に退役してから数十年経った先生たちは、すっかり老人の体だが、その弁舌は時を超えてよみがえり、懐かしい話に一夜の花が咲く。
でも「その先生」が話題に上ることはなく、もちろん、招待もされない。
人は衝撃的な出来事に接した時、それが好機であるという嗅覚が効く人と、そうでない人に分かれているのだろう。
かっとなるようなことを言われた時、それをいかに逃げずに、真っ向から、冷静で的確な言葉で切り返せるか。
それができれば、ずいぶんと自己評価は上がると思う。
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