マラソンで、両足が宙に浮いた写真に映りたい
35km
左足の痛みをやり過ごして、再びそれなりに走れるようになっている。
沿道では足を傷めたランナーが目立つようになってきた。
ある人は土手に座り込んでいる。
ある人はガードレールに手をかけて、ストレッチをしている。
エアサロンパスを持った「私設エイド」の人もいて、めざとく見つけたランナーが駆け寄って「しゅー」してもらっている。
私設エイドとは、個人がコース脇で飲み物や食べ物をマラソンランナーに私費で振る舞う行為のことだが、応援慣れしている人の中には、こうしたフィジカルな支援をする人もいる。
僕はいつも、それを横目にしてやり過ごす。
マラソンは「競技」であると頑なに信じているからだ。
宇佐美彰朗は、レース中に立ち止まって屈伸しない。
瀬古利彦はレース中に仮設トイレに入らない。
宗兄弟はレース中、振る舞われた味噌汁を飲んだりしない。
だんだん、論点が逸れているが・・・
要はスタートの号砲を聞いたら、ゴールまでただひたすら走り続ける。
また、それだけのことができる準備をするのがマラソンという競技だと信じている。
だが、今回だけは「屈伸って意外といいのかな?」と小休止の誘惑に駆られていた。
コースは荒川沿いを走っており、川にかかっている大橋と交差する場所では、上り下りがある。
だが地図でみても、ここには橋がない。
新荒川大橋はコース図で見る限り38km過ぎだ。
この1km区間では、荒川と隅田川をむすぶ水路をまたぐ。
そこにあるのが赤い塗装の「岩淵水門」
荒川はもとはといえば、隅田川の「荒川放水路」
人工でつくられた川である。
かつて、頻繁に氾濫するがゆえ、荒ぶる川で「荒川」と呼ばれていた部分は、現在は「隅田川」と呼ばれている。
「板橋Cityマラソン」のコースは37km過ぎに左折して岩淵水門を渡り、再び右折する。
ここは走路としてはクランク状になっている。
岩淵水門に向かうなだらかな上り
上り終えたあと、ここ数キロは小康状態を保っていた左足が再び悲鳴をあげる。
38kmのラップはついに10分台。
この後は、ゴールまでほぼ10分の巡航となった。
岩淵水門を過ぎたところに、この日の撮影業者「フォトレコ」のカメラマンが待っていた。
ナンバーカードで検索して出てきた1枚。
左肘はしっかり引けている。
この時、足が言うことを聞かない分、腕を引いて推進力を得ようと考えていたのだ。
だが、両足が地面をしっかりとらえている。
上半身は躍動しているのに、下半身が止まっている。
「競歩」みたいだ。
同じ写真にはおよそ20人の人が映っていて、僕を含む14人が走っていて、6人が歩いている。
(マラソン終盤にしては、珍しく走っている比率が高い)
走っている14人のうち、どちらかの足が地面から離れているのは5人。
僕も一応走っているのだから、どちらかの足が浮く瞬間はあるはずだが、カメラマンは僕専従ではないので、その「一瞬」をとらえてはくれない。
以前、カンブリア宮殿に出演したスポーツ大会写真撮影大手「オールスポーツ」のカメラマンが「ランナーは両足が浮いている瞬間がもっとも美しい。そういう写真は買い手がつく。だから、それを狙っている」と語っていた。
ちなみに過去11回のマラソンに出て、3回め以降の9回は「自分が映っている写真」を買っているが、そのうち「両足が宙に浮いている」のは、わずか1枚きりだ。
いつか「両足が宙に浮き」会心の笑顔で走る写真に映りたい。
| 固定リンク | 0
「しらべるが走る!」カテゴリの記事
- 我が心の引退レース(2022.03.09)
- 長崎平和マラソン エントリー方法発表!(2020.02.12)
- 大迫傑曰く「タイムは気にする必要はない」(2020.01.21)
- マラソンの最後の1kmは、それまでの41kmとは絶対に距離が違うと思う(2020.01.20)
- 地道に走り、最下位を脱出(2020.01.18)