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2016年6月13日 (月)

いつも、マラソンレースには、次につながる発見がある

荒川のような河川敷コースでは、長らく平坦な道を走ってきて、筋肉はその運動に慣れきっている。
楽をしていると言ってもいい。
そこに突如現れる、上り坂。
筋肉は突然、急激な負荷をかけられてしまう。

そこまで既に27kmという長い道のりを旅してきて、損傷が蓄積している筋肉にとっては、非情のできごとだ。


マラソンは走り続けてこそ「完走」だと考えている。
公式記録の話をすれば、制限時間内にゴールすれば「完走」だが、僕は、歩いたり走ったりするレースを「完走」と呼びたくない。
地獄の辛さを耐えに耐え、歩きたい衝動に打ち勝ってゴールしてこそ、達成感は大きい。

たとえ、どんなに悪いゴールタイムだったとしても、楽をしなかった。逃げなかったことだけは誇れるのだ。


しかし今回のレースを通して「板橋Cityマラソン」だけは、柔軟な考え方があってもいいと思うようになった。
5時間を超えるクラスのランナーは、27km、38kmの上りだけは歩き、筋肉の損傷を抑えるということを考えてもいいと思う。


柔軟な考えにはもう一つある。
それはレース途中に多くみかけた、いやマラソンではどのレースでも見かける「小休止をしてリカバリーしていたランナー」たちのことだ。

「走り続ける」ことに意固地にならず、屈伸運動くらいしてもいいのではないか?
これまでずっと、頑なに立ち止まらないのがマラソンと考えてきた。

ほんの数分立ち止まって、回復につながるメソッドを試すことにより、それで足が調子を取り戻せるのならば、それ以降の1時間あるいは10km、15kmというレースが立て直せるかも知れない。

そのために犠牲にする数分は、もしもそれが焼け石に水に終わったとしても、そんなに悪いものではないだろう。

来年のレースでは、足が痛くならないことが望ましい。
だがもしも、今年のようなことが起きたら、その時は「小休止リカバリー」をいれようと思う。



「板橋Cityマラソン」を撮影するのはオールスポーツではなくフォトレコ。
これまでに出場したレースにはなく、初めてお目にかかる業者だ。

自分が映っている写真の枚数はまずまず。
その中で「ピン」つまり、自分が主役で大写しになっているものは3枚。
そのうち、いつも購入しているタテの構図は2枚。
ただし、片方は靴がフレームから切れていたので除外。
結局、全身が画角に収まっている写真は1枚だった。
それも上下、つまり頭と靴が写真の端っこにぎりぎり。
辛うじて収まっている。

通常のフレームに写真を納めると、頭と足が隠れてしまうため、いつもより大きめのフレームを買ってきて入れた。
できれば、天地はそれぞれ20%程度余した構図で撮って欲しい。
フレームワークの巧さでは、オールスポーツに一日の長があると思う。



今回は手術明け、主治医の許可を得ることもなく臨んだレース。
(一応尋ねたが、主治医が回答を忘れている様子だったので、あえて追究しなかった)

とりあえずは、当初の予定通り「無事完走」を手に入れた。
しかし、タイムはついに自己ベストから1時間以上離れた。

「もう歳だから」と現状を受け容れるか
いやいや、工夫次第でまだ自己ベストを狙えると考えるか
もちろん後者である。

これでマラソンは11回。
いつも新たな発見、知見がある。
次はこれを試したい。
靴はこうしよう。
そういう知的好奇心が廃れない限り、競技としてのマラソンは続けられる。

おわり

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