伝家の宝刀「どうか」という言葉がもつ力
どうか。。
ということばには特別な力があると思う。
【1】ご理解いただけませんか?
【2】どうか、ご理解いただけませんか?
2つの言い方を比較すると【1】は「理解するのが当たり前だろう?」という「上から目線」が感じられる。
【2】はご理解いただけないと、とても私が困りますという「懇願」「哀願」が感じられる。
人は哀願されると「悪い人」になったような気がする。
古来から哀願は悪人、あるいは独りよがりな人に向けられて来たからだ。
哀願されると、高い確率で人は折れる。
「どうか、そのような方向に話を持って行かないでください」
かつて、このような会話が目の前で交わされていたことがあった。
サトウさんが、被災地でボランティア活動をしてきたという話をした時だ。
それを聞いたスズキさんが言う。
「君はえらいね。よし、それならば、今度たちあげる社会貢献チームのリーダーをやってもらおうかな」
そこでくだんの発言だ。
「どうか、そのような方向に話を持って行かないでください」
僕はそれを聞いていて、違和感を感じていた。
世の中の多くの人、ざっと言えば99%の人はスルーするような他愛のないやりとりにでも、僕はその口から出た言葉と、その人の内面に本来あるであろう感情、解釈との距離に目が行ってしまう。
僕はサトウさんの気持ちになって考える。
僕はボランティアに行ってきたという自慢話をしたわけじゃない。
でも、そのように受け取られることは往々にしてある。
「ボランティアは、それぞれの人の心の中にある」
かつて、阪神淡路大震災が起きた時、先輩からそう教えられた。
やはり、言うべきではなかった。
しかし、それが少しでも聞いていた人の鼻につき、それがスズキさんの「リーダーをやってもらおう」発言につながったのであれば、まずそれを収拾しなければならない。
そうしなければ、ただ単に僕が「リーダーをやりたくない」とか「そんな立派な人間じゃない」というニュアンスで「どうか」を言ったように、周囲は受け取るだろう。
「あ、すみません。自慢げな話に聞こえてしまったのかも知れません。申し訳ありません。ただ、私は決してなにかのリーダーを仰せつかるような器ではありません。そこのところは誤解なきようお願いします」
これが今、僕の中にある感情だ。
それを口に出せば、それがもっともありのままに近い距離の言葉である。
だが「どうか」という言葉には、そういった丁寧な説明を端折って、一気に片を付けてしまう力がある。
伝家の宝刀は、切り札としてとっておかねばならない。
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