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2016年7月30日 (土)

オバマ大統領はなぜ長崎には来てくれなかったのだろう?

2016年8月9日
長崎に原爆が投下されてから71年め。
「長崎平和の日」として長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われる。

2016年5月27日
伊勢志摩サミットの翌日、アメリカのオバマ大統領が現職のアメリカ大統領として初めて、被爆地を訪問した。
その行き先は「広島」だった。

なぜ、オバマ大統領は広島には行って、長崎には来てくれなかったのだろう。

広島は人類が初めて原爆投下の被害に遭った場所だから。
広島の方が伊勢志摩から近いから。
この2つはすぐに思いつく。

続いて憶測すると
広島の方が警備がしやすかった
長崎空港の滑走路が短かった

少しだけ違和感があった。

それは、主要メディアだけでなく、ネットニュースサイトにも「なぜ広島だけ行って、長崎には行かないのか?」という記事を見かけなかったからだ。
長崎市も田上市長がケネディ大使に、伊勢志摩後の訪問を要請している。
米国政府は何らかの理由で長崎を落としたのである。
2016年7月15日放送、NHK「ドキュメント72時間」は「広島 大統領を待つ街角で」オバマ大統領が広島を訪れた日にカメラを回していた。

出色の一言はある10代の男性が言った。
「何しに来るんですかね」
よく言った!
よく放送した!
そして、笑った。
多くの人が思っているけど、馬鹿丸出し感がありありで、なかなか言えない本音だと思う。

ほんと、何しに来たのだろう。
「原爆を落とした国のリーダーと落とされた国のリーダーが被爆地で会う」
それは、おっしゃる通り「歴史的な出来事」だ。

だから、どーした
これが被爆者を先祖に持つ広島県民ならば、感慨というものがある。
原爆に倒れたご先祖様。
どうか、安らかに眠ってください
後遺症に苦しむ親族。
どうか、少しでも苦しみが和らぎますように
日々、祈りを捧げてきた人たちにとって、批判をものともせず、ここに来てくれたという英断、心意気に感じ入ることがある。

でも長崎県民にとって、広島に来た大統領をみて、歴史の一ページを心に刻めと言われても無理な話だ。
米軍基地がない都道府県の人が、米軍基地問題を肌で感じることは難しい。
「沖縄の基地固定化を懸念するならば、皆さんで基地を受け容れましょう」と橋下徹が全国知事会で話したら、皆が黙り込んだという。

それと同様、子どもの頃から「原爆投下の日」に登校して平和教育を受け、資料館で悲惨な過去を目の当たりにした広島、長崎県民と他県民では、原爆に対する肌感覚には差がある。

なぜ広島には行って、長崎に来ないのだろう?
これは被爆者を先祖や直近の親族に持つ長崎県民にとって、腑に落ちないギモンである。

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