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2016年9月22日 (木)

カップヌードル「謎肉祭」を通して考え直す人生の僥倖

ナゾニクサイ?
(1年後追記:ナゾニクマツリと読む)
また日清が遊んでいるな

会社帰りに立ち寄ったファミマのレジヨコにうずたかく積まれていた段ボールの上に乗ったカップヌードルには、おどけたフォントの赤い文字で「謎肉祭」とあった。

謎肉?
闇鍋みたいになんの肉だかわかりませんよということか?
そういえば確か、カップヌードルに入っている四角い肉のことがそう呼ばれているとネット記事で読んだことがあった。

パッケージ説明にはこうある

カップヌードルの人気具材
"謎肉"※1を通常の10倍※2入れました!

※1"謎肉"とはカップヌードルに入っている味付豚ミンチのことです。
※2カップヌードルビッグ対比


マラソンに向けた節制期に入っていた僕は「肉が10倍」といわれても心は動かず「謎肉祭」をスルーして帰宅する。
しかし、30分後状況は一変した。

ネットのニュースに「謎肉祭販売休止」という見出しを見つけたのだ。
簡単にいうと「計画以上のペースで売れている」というだけのことだ。
一般的に、それは「品薄」と表現する。
しかし昨今のネットニュースは"見出しでなんとか記事を開かせよう"と内容にはそぐわないものが多い。これもその類いか。

そう思ったら「休止」という言葉を使ったのは日清だった。
十分な供給体制が整うまで出荷を止めるというのである。
とりあえず、工場でできたものは出荷して売ればいいのにと素人は思う。だが、そうできない"大人の事情"が日清側にはあるのだろう。

いずれにせよ、10月末には店頭に並ぶ。
だったらこの情報はスルーでいいのだが、ついさっき目の前にあった「レアな品」をスルーしたことが悔いに感じられてしまった。
長くコレクターをやっていると"レアな品がそこにあるというだけで、必要なくても確保の必要性を感じてしまう"のである。


翌朝、残数確認のために、件のファミマに立ち寄ると腰の高さほどあった段ボールは最後の1箱となり、地べたに這いつくばっていた。
これは帰宅前に来ても、もう買えないな・・
その場で当面の必要数を確保した。
結果的には往復の通勤電車でカップヌードルを抱えた労を嘲るように、夜のファミマには定番の棚に多数の「謎肉祭」が並んでいた。



開封すると謎肉で麺が見えないほどだ。
(節制と言いながら、もう食べている)
試しに数え始めたが、大きさもまちまちであり、この数値にどれだけの情報価値があるのかを考えたら空しくなったのでやめた。およそ30個くらいだと思う(一応数えている)


いつものカップヌードルならば「謎肉」と麺の配分を考えながら食べる。
「素麺の回」と「謎肉も混ざる回」
よし次は謎肉来るぞ、しっかり味わおうと脳が歯と舌に指令を送る。

だが「謎肉祭」では、素麺だと思って口に運ぶと、麺に謎肉が紛れてくる。これは想定外だ。
いつもならば、謎肉は1個ずつ食べるが1度に3個の「オトナ食い」もやってみる。
肉の外側にある歯応えが人気の秘密だろう。

いつも以上に「オトナ食い」したつもりだった。
しかし、麺がすべて終わった後、まだ10個の謎肉がスープに浮いていた。

これを貧乏性というのだろうか。
どれだけふんだんに僥倖が用意されていても、それを少しずつ小分けして楽しみたいと思う。
人生にはそれほど多くの僥倖はない。
だから、こうして幸せは大切に噛みしめる。何もかも始めに一気に味わい尽くすことはない。

「謎肉祭」はたった1つのカップ麺に過ぎないが、こうして文章化することを通して、自らの人生を考え直したのだった。

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