一般的な幸せ
母を亡くすと言うことについて、まだ実感がわかない
実感はきっと喧騒が過ぎ
ふとしたなんでもない瞬間に沸くのだろう。
母親はその子供に無償の愛を注ぐという
(一般的には)
思い返してみると、いつも、
どの場面でも母はそうだった。
その時々には「今まさに愛情を受けている」という指さし確認は行わなかったが、思い出してみてそうではなかった場面はないのではないか・・
というのも、まだ
ゆっくり思い返す時間がない。
母から受けた愛情に応える
ことばを贈らなければならない。
一般的でよかった。
一般的は幸せだ。
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