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2016年10月28日 (金)

告別式の最後に「人生が二度あれば」をかけてもらえばよかった

「人生が二度あれば」をかけてもらえばよかったかも知れない。
それは葬儀が終わり、平常の暮らしを取り戻した頃に思いついた。

井上陽水のデビューアルバム「断絶」に入っているこの曲は、中学の音楽の先生からLPを借りて聴いた。
陽水が涙ながらに歌うその歌詞に、親が死ぬと言うことの悲しさを初めて想像した。
その歌詞に切なさを感じていた。


その頃、陽水はちょうど親を亡くす世代を生きていたのだろう。
セカンドアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」には「帰郷(危篤電報をうけとって)」という曲が入っている。
危篤電報を受け取り、郷里に向かう電車のなかで、きっと子供はこんな空虚な気持ちになるのだろう。
子供ごころに考えていた。



♪子供を育て 家族のために 年老いた母

「人生が二度あれば」の設定は父65、母64
まだ日本人の平均余命が、今よりぐっと若かった頃の歌だ。
当時、僕の親はまだ若く、自分の親が死ぬという想像力は沸かなかった。
そして、この曲を聴かなくなってから数十年のうちに、親はその設定の年齢を大きく超え、そして死んでしまった。


♪父と母がこたつで お茶をのみ 若い頃のことを話し合う

浄土で2人がそうあって欲しい。

もしも、このアイデアが告別式の前夜、浮かんでいたらどうだったろう。
あまりに辛気くさいので、自ら却下したかも知れないし、どうしても実現させたくなったかも知れない。
4分56秒という尺は許容範囲か。
とにかく、大変なのはこの曲でMCを言わなければならない斎場の司会者だ。
遺族が希望している曲に対して、一刀両断でダメ出しはしづらい。
やんわりと「お母様がお好きだった曲がいいのでは?」と水を向けてきたかもしれない。

いずれにせよ、告別式のエンディングに「人生が二度あれば」が流れていれば、僕はそれこそ「号泣」したかも知れないし、一部の人たちからは「何を考えているのか」と顰蹙を買ったかも知れない。

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