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2016年10月16日 (日)

喪主の挨拶で緊張しない方法

僕に続いて遺族、親族、弔問者が順に焼香する。
彼らは焼香を終えると、帰り際に僕らに挨拶をする。
僕らは最前列の席に座ったまま、黙礼する。

通夜という場所がら、悲しい場面なのだが
悲しい顔をつくるのもおかしい。
仏頂面をするほど、機嫌が悪くもない。
だからといって、にこにこ笑っていては
「この人は喜んでいるのか?」
と皆が訝しがるだろう。
従って消去法的に、無表情を貫く。

すべての弔問者の焼香が終わる頃「焼香がお済みでない方はお進みください」とアナウンスが入る。
その後の静寂を察して、導師は読経を終了する。

それから導師のお話。
お話があるのは「通夜」のみ。告別式にはない。


この導師の話は「前回」も聞いたことがあるが、木訥な語り口でなかなか味わい深い。
いつも、お斎の席では「いいお話だったね」と親戚じゅうの話題になるほどだ。
誰もがその話に聞き入るなか、一人だけ、そこに集中していない人がいた。

僕だ

原稿は一通り頭に入れてある。
本番の挨拶でメモを読み上げたりしない。
それでも別にかまわないのだが、自分の美意識が許さない。

人前でメモを見ることすらしない。
人前では何事もないような素振りをみせておいて、いざ挨拶にたてば、要点を押さえて手短に話す。
それでこそ、聞き手の感動を呼び起こそうというものだ。
別に感動させる必要はないのだが


台詞を忘れてはいないだろうか
途中で言葉に詰まったりしないか
そんな心配をしていると、読経やお話が頭に入ってこない。

こんなことではだめだ。
今日は母の通夜であり、僕の発表会ではない。
目の前の一分に集中する
自分を信じる
これこそが、緊張しない方法と言える。
そう踏ん切りをつけたら、導師の話が心に落ち始めた。



導師は「焼香」について話す。
インドでは、誰かに会いに行く時、それぞれが自分のお香を持参するのだが、日本ではそれが根づかなかった。
葬儀においては、お香を用意してもらう代わりということで「香典」という呼ばれるようになった。
焼香は皆さんが故人に会いに来たよと言う挨拶という意味なのだ。



焼香が終わると導師が退場
そこで遺族代表挨拶となる

本日はお忙しいなか、弔問いただきありがとうございます

原稿にはそう書いてあったが、僕はこう述べた
本日は母に会いに来ていただき、ありがとうございます。

それ以外は、余計なアドリブを入れることなく、予定していた通りの原稿を話すことができた。
シン・ゴジラの台詞のように2倍の速さで喋るのはお手のものだが、今日はいつもの2分の1の速さで話した。

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