遺族代表挨拶のプレッシャー
博多を出て鳥栖を過ぎると、線路は佐世保・長崎へ向けて右折する。
鳥栖を出てすぐ、2011年に九州新幹線ができてから建てられた新鳥栖の駅に停まる。
新鳥栖を出た頃には、あぁ旅の人になってきたなと感じる。
いつも旅スイッチが入るのは、九州に着いて電車に乗り換えた頃だ。
七年前、まだこの新鳥栖駅はなかった。
その時、長崎本線に切り替わったところで、電車が西に向かって走り出すと、亡骸となった肉親との対面は、いったいどんな感じなのだろう?と考え始めた。
親戚の葬儀で死体を見たことはあるのだが、自分の親のそれを見るということが怖いと感じた。
いったい自分は今、どんな顔をしているのか?
記録したくなり、一眼レフで自撮りした。
今思えば、自分のことしか見えていない証左である。
今日はそれはない
いつもこんな時、自分が冒してきたいくつかの失敗が走馬燈のように駆け巡っていた。
だが、小さな失敗は、自分への関心を薄めれば見えなくなる。
明日の遺族代表スピーチを考えなくては。
前回の記録を探してみる。
今回、遺族同士の会話において、七年前に父を亡くした時の一連の行事を「前回」と言うことが多かった。
父や母の死を「回」で表現するのは不謹慎かと思うのだが、やはりその言い方が互いにわかりやすい。
はじめのうちは「前回、いや父の時はね」とためらいながら言っていたが、次第に自然に「前回」を言うようになっていた。
前回のスピーチは「しらべる」にその骨子が見つかった。
「父を亡くすという初めての経験」を自分の「次回」の備忘録として記録しておいた。
数人の方がそれを見て、少しでも参考になればと思う。
もちろん、父に対する私的なエピソードはウェブページに書いていないが、そこは自分で覚えている。
この骨子に、母とのエピソード、そして今の気持ちを乗せていけばよいだろう。
遺族代表挨拶は七年前に経験しているし、日頃から人前で話すことは苦にならない性分だ。
「挨拶がうまくできるだろうか」
というプレッシャーを感じないで済むのは助かる。
こういった特質も父と母から受け継いだものだ。
明日は通夜
寝ずの番になるかも知れないので、佐世保に着くまでの間を寝ることにする。
終点駅への旅は、安心して寝ていけるのが助かる。
佐世保は九州の西端、つまり日本の西端にある。
JR佐世保駅は「日本最西端のJR駅」
ちなみに最西端の鉄道駅は松浦鉄道(MR)の「たびら平戸口」である。
今朝亡くなった母はすでに病院を出て、斎場に運ばれている。
亡き母の棺が待つ斎場に着いたのは、東京を出てから8時間後だった。
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