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2016年11月 1日 (火)

神、神、言うな

Siriに向かってこう言うと
神神ゆうな
と変換された
まるで、アニソン専門のアイドルのようだ。

生まれ持って頑固なもので、ある時、受け付けないと思ったものは、頑として門前払いがつづく。
これが、気に入らない人であれば、その存在を頭から消し去れば事は済む。
そういう人は居なかったと決める。
そうすれば、その人と交流が生まれそうな機会は自然とカラダが避けてくれるし、そのうち、それは相手にも察知されて互いに避けるようになる。
互いにハッピー
こういうのもウィンウィンの関係と言ってほしい。


ところが、ことばは厄介だ。
逃げられない。
自分では使わないと心に決めているからいいが、相手の方から遠慮会釈無しに目に入る、耳に飛び込んでくる。

「そのことば」を初めて聞いたのは、ミクシィが世に出て、SNSという言葉の意味も可能性も、その限界も誰も知り得なかった頃。
ただ、それまでには交流し得なかった人たちが、新たにその輪に加わりつつあった頃だ。

あつあつご飯に乗せた玉子は神

はじめは、そんな言い回しだった。
かぁみぃ??
玉子のどこが神なんだよ。
いくら日本が八百万の神の国だからって、言うに事欠いて、玉子を神にするか?
「桜井和寿は神」などと、人を神扱いする分には、はいはい、好きにやれば?とスルーできるのだが、玉子が神には脳が捻転してしまう。


そうして、なんでも神にして済まそうというのは「思考停止」のはじまりだ。
今流行っている「神対応」を例にあげて、読み解いてみる。

「コンビニ・アルバイトの神対応」
といった場合、それは恐らく「秀逸な」「意欲的な」対応なのである。

「暴言をさらりとかわした、女優の神対応」
といった場合、それは「大人の」「冷静沈着な」対応なのである。
または「ユーモア溢れる」「機知に富んだ」かもしれない。


それぞれの心持ちには、それにふさわしい言葉がある。
日本語には機微に触れ、隙間を埋めるに十分な形容詞があり、その適切な運用を待っているのである。


今年は「神ってる」が流行(はやり)だ。
特にスポーツ報道で目につく。
プロ野球チームの監督までが、大衆を前にして使っている。
言葉は流行と共に、その境界線から外へ浸みだしていく。
はじめは「驚異的」「信じられない」という事柄に使われていたものが、毎日1度は必ず起こりそうな出来事にまで適用が広がっていく。

世の中は神だらけだ。
さすが、八百万の神の国
今年の流行語大賞は決まりではないだろうか。

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