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2016年11月24日 (木)

葬儀からしばらく、何かをすると何かを忘れる

火葬が終わるまでの時間は、いつも居心地が悪い。
今、この棟のどこかで行われていることに思いを馳せたりはしない。
それはこの国の決まり事であって、感傷を寄せても仕方のないことだと、脳がわかっているからだろう。


初めて経験した葬儀で、はっきりと覚えているのは「弁当」のことだ。
通夜、葬儀を通して用意された仕出し弁当は、それは質素で、成長期を迎えていた僕には儚さすら覚えるほど、物足りないものだった。
それが「精進料理」という名前であり、喪中は肉や魚を食べないのだと教わった。

ところが、火葬が終わった後、一転して豪華な弁当が出た。
大好きだったエビの姿煮、牛肉、サラダ
それは間違いなく、そこまでの生涯で最も豪華な食事だった。
それが「精進明け」というものだと聞いた。

ただ、それをどのタイミングで食べたかは覚えがない。
仏教でいえば、本来それは四十九日法要の後。
だが、食べたのは葬儀当日だったと思う。

今思うに浄土真宗には「忌中」という概念がなく、従って「忌明け」もない。
だから、厳密に精進料理を出し続けることもないという判断だったのかも知れない。いずれにせよ、育ち盛りの僕はとても嬉しかった。


今、目の前にある仕出し弁当は、思い出の弁当に比べると大きく見劣りがする。
スポーツボランティアに行った時に出る程度だ。
だが、肉も魚も入っている。浄土真宗と聞いて、業者もこれでいいと思ったのだろうか。


雨足は幾分弱まっている。
この斎場は海辺の広大な敷地にある。
遺影の後ろの窓からは芝生の景色が広がり、あたかもゴルフ場のレストランにいるような気分だ。


もう間もなくです
予定よりも少し早く、表情のない係員が準備を促しに来た。

廉価な公営の斎場ゆえ、後片付けも遺族が手分けしておこなう。
弁当の容器や紙コップを仕分けて、これでよしと控え室を後にする時、遺影と位牌(仮)を忘れそうになった。

先の香典といい、何か1つずつ手から水が漏れる。
この傾向は葬儀後、しばらくの間、僕ら遺族の間で続いた。

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