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2016年11月19日 (土)

昭和の葬儀

生まれて初めての葬式は下関のおじいちゃんだった。
今、目の前で荼毘に付されようとしている母の父である。

一本の電話が鳴り、僕は学校を休むことになった。
小学校6年間無欠席をつづけてきて、あと数ヶ月で卒業という時だったため、そのことが悔しかった。
そのショックで翌週風邪を引き病欠した。
忌引き3日は休み扱いにならないことを知ったのは、その数日後だった。
子供だった僕は、母の悲しみを我がことに置き換えることが難しかった。
ただ、訃報の後、風呂場から聞こえてきた母の嗚咽に、申し訳ない気持ちがした。



祖父の葬儀は盛大だった。
同業者の間では、とても慕われていたらしく、弔辞を市長が読んだことに驚いた。
そういえば、夏休みに祖父の家に居ると、安倍晋三のお父さんが挨拶に来たこともあった。
大きなお寺の境内で行われた葬儀は、前庭から表の国道まで人が溢れた。

とんとんとん
今でもその音を覚えている。
棺桶に釘を打ち付ける音
遺族・親族が木槌だったか、あるいは石だったかを回し、1人2、3回棺桶の蓋に差し込まれた釘を打つ。
僕は遠慮して打つのは2回に止めた。
小学生がその意義を斟酌するには、あまりに衝撃的な儀式だった。


そして、祖父の葬儀ではっきり映像と音声が脳裏に焼き付いているのが、この告別室でのことだ。

マイクロバスに乗り、関門トンネルのそばにある火葬場に移動する。
当時、人数制限などはなく、遺族・親族の誰もが告別室に招かれた。

釜が開く
火が燃えさかっている
祖父の棺桶が勢いよく、係員によってその中にくべられる。
不謹慎かも知れないが、それ以外の表現が見つからない暴虐のシーンだ。
それと同時に僧侶の読経が勢いを増す
皆が目の奥に力を込めて、手を合わせる


だが、今目の前にある風景は違う
あれから数十年
もうそういう時代ではない

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