母の花札
「最後のお別れ」を前に、会葬者が退出していく。
親の葬儀はこれが二度めだが、前回は7年も前のことなので、段取りを覚えていない。
棺に思い出の品や花を添えるのは、会葬者のうち希望者の誰もが参加するものかと思っていた。
遺族、親族だけが、空席となった会場に残る。
そこで、母の棺が祭壇から会場中央へ移動。
その周りを送る者が取り囲む。
誰かが先駆けとならねば、誰も動けない。
まず始めに喪主の僕が、母が愛用していた品を棺に入れる。
これは、母が愛したスポーツで使う道具。
母の象徴とも言えるものだ。
この品を納める役割は、この儀式の花形であり、役得である。
つづいて遺族が、思い出の品を納める。
中でも思い出深いのは、母がいつも遊んでくれた「花札」だ。
時代はまだ戦時
「女が教育を受ける必要はない」
という商人の家に生まれ育った母は、大学にこそ進まなかったが、ずいぶんと頭の回転が速い女性だった。
それが、勝負ごとには遺憾なく発揮された。
母と花札で対峙すると、こちらは連戦連敗。
子供ごころに「手札は公平に配られているのに、なぜこれだけ戦績に差がつくのだろう?」と不思議だった。
記憶力、予測力、あるいは「戦略」
いったい、何が強さの秘密なのかは、未だにわからない。
配られた8枚の手札を見ると、松・桐・坊主に桜とそうそうたる面々。
これはもう、負ける方が難しいなと思う。
そんな時ですら、戦局が進むにつれて旗色が悪くなっていく。
いったい、どうなっとると?
一戦一戦の勝負で勝つことはできても、その日のトータルで母を負かすことは至難の業だった。
これはもう、負ける方が難しいなと思う。
そんな時ですら、戦局が進むにつれて旗色が悪くなっていく。
いったい、どうなっとると?
一戦一戦の勝負で勝つことはできても、その日のトータルで母を負かすことは至難の業だった。
それでも食い下がる子供や孫たち。
母は余裕の表情で次の一手を繰り出す。
当時、そういう言葉はなかったが、あれぞまさに「どや顔」であった。
誰もが、母のどや顔を思い浮かべている。
ケースに入った任天堂の花札は母の右肩あたりに納まった。
ケースに入った任天堂の花札は母の右肩あたりに納まった。
この後、高熱に晒されていとも簡単に燃え尽きてしまうんだよな・・
一瞬、その考えがよぎったが、すぐに打ち消した。
いや、そういうものじゃないんだ。母は花札を携えて冥土に旅立つのである。
七度の裁判により、天道を射止めた時には、そこで誰か好敵手を見つけて欲しい。
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