大田泰示の「残りクジ」人生
大田泰示が日本ハムに移籍した。
2008年10月30日に始まった「巨人大田泰示の歴史」をまとめておこう。
大田泰示の巨人時代
2008年10月30日
ドラフト会議
2週間前に「大学進学」から一転プロ志望届を出した大田泰示を巨人とソフトバンクが1位指名
ここまで「抽選4連敗」だった原辰徳がクジを引き当てた。
だが、これは秋山監督が引いたあとの「残りクジ」だった。
巨人ファンと巨人ファンの大田泰示にとっては、このうえない僥倖であったが、結果的にここは大きな分岐点だった。
2008年11月15日
背番号が「55」に決まる。
この番号は2002年オフに松井に逃げられてから6シーズン、松井の復帰を目論んでいた巨人が「勝手に欠番」にしていたのである。
巨人は大田泰示に55番を与える際、わざわざ松井秀喜の了解を取った。
松井秀喜との入れ替わりで引き継いだというのならば禅譲だが、大田泰示はここでも「残り札」をあてがわれたことになる。
だが、巨人ファンは「55」に松井再来の夢を見た。
野球界における「55」という数字は王貞治が1964年に記録した、55本の日本プロ野球本塁打記録に象徴される。
それを1991年、巨人に入団した松井秀喜に背負わせた。
「55」がホームランを多く打つ選手の背番号につけられるようになったのは、ここからである。
1964年、王貞治24歳 6年め 55本塁打(140試合制)
1998年、松井秀喜24歳 6年め 34本塁打(135試合制)
そして大田泰示も24歳、6年めにようやく一軍に定着した。
44試合出場
2本塁打
2014年9月27日には「第81代巨人の四番打者」となったが、これは優勝決定翌日で主力を休ませた試合だった。
2015年は「四番」を期待されたが、1本塁打
2016年は4本塁打と、巨人ファンの「淡い期待」に応えることができなかった。
大田泰示はパリーグで出場機会を与えたら化けるのではないか?
でも、化けるなら巨人で化けてほしい
せっかくの貴重な素材、出すのはもったいない。
口には出しづらいが、これが、ここ数年、大田泰示に寄せてきた巨人ファンの心境だろう。
中田翔を四番に育てた日本ハムで化けてほしい。
大田泰示ならば、日本シリーズで対戦して1発打たれても、拍手を送れそうな気がする。それほど、彼に期待して愛してきたのだ。
堤GMは「北海道でFAをとってこい」と激励したという。
口に出しづらいことを、気軽に言ってしまう人である。
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