霊柩車を足止めする人たち
最後に登場したおばあさんのせいではないが、僕らの出発は予定の時間よりも、少し遅れているようだ。
それでも、霊柩車は穏やかに走る。
左側の走行車線と、法定速度を頑なに守り、町はずれの火葬場をめざす。
対向車線は土曜日午後の買い物へ出る人たちの車列で渋滞しているが、町のはずれへ向かう方角は空いている。
すると前を走っていたプリウスが、突然左ウィンカーを出した。
運転手のおばちゃんが、急に銀行に入る用事を思い出したようだ。
ところが、銀行の駐車場からはちょうど1台の軽自動車が出ようとしていた。
しかも右折。
プリウスは軽自動車が出るのを待つ。
軽自動車は渋滞の列に隙間ができるのを待つ。
霊柩車は、追い越し車線は空いているのだが、前にいるプリウスが片付くのを待つ。ホイールベースが長すぎて、急に車線を変えられないのか。
それとも、車線変更をすることは禁忌なのか。
軽自動車が一旦、後退すれば、万事うまくいくのだが、そういうアイデアは浮かばないらしい。
入ろうとしている車列は、その前方の信号が赤になっており、動く気配がない。
急いでも仕方がない。
僕はどっしりと構えている。
だが、プリウスを運転しているおばちゃんは、霊柩車を待たせていることが気が気ではないだろう。
対向車線の信号が変わり、クルマが流れ始めた。
ところが、買い物を急いでいるのか、誰も軽自動車を入れようとはしない。
ずいぶん、長い時間、その場にとどまっていた。
雨は次第に激しさを増し、フロントガラスに大粒でぶつかり、大きな音を立てた。
僕は喜怒哀楽に関するあらゆる感情をどこかに置き忘れた、一つの塊になって、いつもならばハンドルがある場所にある位牌(仮)をまっすぐ立てて握りしめていた。
週末の火葬場は人影もまばら
広大な駐車場に、ほとんど車の姿はない。
そもそも、遺族は斎場が用立てたマイクロバスで乗り付けるだろうから、こんなに広い駐車場がいっぱいになることはないだろう。
屋根のついた車寄せに霊柩車が入る。
表情を持たない、感じのよい女性係員による「こちらへ」という先導に、僕はてきぱきとつづく。
日頃、こんなふうに広い空間を1人堂々と歩くことはない。
国や企業に招かれた外国のVIPでもなければ、こんな待遇は一生のうち、一度もないかも知れない。
冷静に毅然としている喪主を演じている僕は、父譲りのえぇかっこしーなのだろう。
画竜点睛を欠いたのは、今その僕が来ている礼服が貸衣装だと言うことだ。
母が亡くなったのが二日前の早朝。
父の葬儀は「友引」が挟まり「四日待ち」だったから、その感覚で礼服をゆうパックで送ってしまったのである。
到着が遅れたこともあり、すぐに告別室に通された。
七年前、父の葬儀で来た時は、ここに入れるのは規則で2人までだが、遺族の家族が3人であるため、特別に入れてもらったという記憶がある。
今日の遺族は2人。
表情を持たない、穏やかな係員が説明している。
だが、何を言われたのかはほとんど覚えがない。
恐らく、所要時間はどれくらいだとかいうことだろう。
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