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2016年11月25日 (金)

収骨

初めて見る光景ならば、その斬新な絵づらに衝撃を受けるだろうが、もう何度か見てきている。
初めてみたのは祖父の葬儀で、それから祖母、ずいぶん間が空いて父そして母
そして、僕から祖先がいなくなった。
これからは僕が祖先の最古参
そしていつか、その死をもって子孫に人の死を実感させ、人の死と自らの人生を考える機会を与えなければならない。


1つめの収骨だけは箸渡しする。
日頃することがないだけに、渡す方も受ける方も不慣れだ。
不慣れだからといって、途中で落とすのは縁起が悪い。
父から子へ
身をよじりながら長い箸を互いに操り、なんとか無事に1つ目の骨が壺に収まった。

あとは各自が直接、箸で骨を拾い、骨壺に入れる。
ついさっきまで物理的な形をもって存在したスポーツの道具も花札も、当然のように跡形もない。

スポーツで傷めた母の膝には、人工関節らしきものが焼け落ちず、形をとどめていた。
遠い昔、そういう手術を受けたことを、誰もが忘れていた。


表情をもたない係員が「これは最後に」と言って、のど仏を脇に取り置く。
人の話を聞かない親族がいて、それに箸を延ばしはしないかと、誰もが視界の端にそれをとらえて監視している。
それはとりま、今日のところ杞憂だった。


からだじゅうの骨をすべて墓に持って行くことはできない。
からだの中から、遺族・親族に選ばれた代表だけが納められる。
そのことは、何度かの経験によりわかっている。
だから、あれもこれもとがつがつはしない。


しかし、係員は一向に僕らを制止しない。
もう入らないんじゃないか。
そろそろ最後の1つでいいんじゃないか。

それでも、彼は詰める詰める
仕舞いには箸で壺の骨をぎゅっぎゅっと押さえつけて、さらに新たな骨を迎えるだけのスペースをつくる。

ようやく、隙間という隙間は埋め尽くされ、最後に僕が母ののど仏をおさめて、蓋が閉じられた。

蓋は接着されるわけでも、鍵がかけられるわけでもない。
開けようと思えば、いつでも開けられる。
だが、四十九日までの間、それが再び開けられることはない。
骨を見ても故人を偲ぶことはできず、なんの慰めにもならないと、誰もがわかっているからだ。


母の骨を満杯にたたえた壺は桐の箱に収められて、遺族の膝に抱かれ、次なる目的地である東本願寺へと向かう。

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