東京マラソンでサングラスをやめた理由
東京マラソンは5kmまでは下りがつづく。
今日のプランは、下りでタイムを稼ごうとは思わないこと。
これまでならば「いただきの下り」と考えて、下りは速いペースで走っていた。
だが、下りで地面から受けた衝撃は着実に太ももやふくらはぎに蓄積していく。
それが閾値を超えたところで「足が痛くなり」「足が止まる」
文章にすればシンプルなことだが、これを頭だけではなくカラダでわかったのはマラソンを始めて11年で11回め、去年の「板橋Cityマラソン」
27kmの上りを終えた途端、急激に足が止まった。
その時は、給水所のスポーツドリンクが薄過ぎたせいだと思っていたが、恐らくそんなことではない。
去年の練習はというと、手術明けという事情もあって、追い込む練習は無し。
ひたすらジョギング。ほとんど全編LSDというものだった。
そういった練習では、疲労の蓄積に足が耐えられない。
今年は、その蓄積に耐える練習をしてきた。
だが、その練習方法で正しかったのかはまだわからない。
今回のレースを終えて、振り返る時にその答えが出る。
仮説と検証のレースである。
「くまモン~」
沿道の女性から声がかかる
声の方向を見やり、手を上げて応える。
目と目が合ってにっこり。
今日は過去5年のレースで続けていたことを1つ止めた。
それはサングラスをかけること。
マラソン書籍によると、サングラスは日光を遮ることで脳の疲れを低減させるとされていて「やった方がいいことの1つ」である。
だがサングラスをかけてからの5年、会心のレースがない。
サングラスをかけることで、視界が暗くなり、テンションが下がるのではないかと訝っている。
それよりも、サングラスを止めた本当の理由は別にある。
それは沿道で応援してくださる皆さんとの「心の通い合い」
世の中には色の入ったメガネをかけている人が居る。
もちろん、それぞれの事情があってのことだろうが、人となりが見えづらいのは確かだ。
目と目が合ってこそ、心が通う。
サングラス越し、どんな目をして見ているかわからない人とは、心が通わない。
過去5年、沿道の皆さんとハイタッチをした時に、どうもしっくり来ない感覚があった。
今日は東京マラソン
沿道の皆さんとの心の通い合いの方が、脳の疲れの緩和よりも優先順位が高い。
もしも「熊本県人会」のような一団がいて「くまモ~ン!」と声がかかったら「あとぜき」のポーズで決めようと考えていたが、残念ながらその機会には恵まれなかった。
熊本地震が起きてから初めての東京マラソン。
くまモンをアピールするランナーがもう少しいると思っていたが、レース中に出会った「くまモン」は僕を含めて3人だった。
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