いじめ対象の三拍子「よそ者」「お調子者」「小心者」
母の愛は絶対だった。
いつも僕を無条件で支持してくれた。
今こうして毎朝、その写真に向かい、手を合わせる時。
祈りを終えて、目を開けると父と母の目を見る。
今日も一日、見守っていて
そう呼びかける
それは、昔まだ僕がとても小さかった頃、時期にして2年ほどの習慣だ。
当時、生まれて初めての転校を経験し、五島列島にある1学年2クラスの小学校に通っていた。
僕の通うクラスには「ター坊」と呼ばれるリーダーがいた。
幼少の頃から大好きだったフォーリーブスの「ター坊」こと、青山孝はとてもクールで優しい好青年だったが、こちらのター坊は違った。
その荒々しい気性で、細かい暴力を繰り返し、完全にクラスを掌握していた。
そして、彼の扇動により、その週のターゲットが決まり、クラス男子ほぼ全員参加の「村八分」が行われることがルーチンになっている。
「よそ者」「お調子者」「小心者」
いじめ対象三拍子が揃っている僕は、ヘビーローテーションの代表となり、俎上に上がっていた。
いじめ対象三拍子が揃っている僕は、ヘビーローテーションの代表となり、俎上に上がっていた。
まだ、BABYMETALは生まれていなくて「イジメ、ダメ、ゼッタイ」と歌ってくれなかった。
そもそも、また「イジメ」という言葉をテレビや新聞で見聞きすることもない頃。
村八分ウィークに入ると、僕は毎朝、玄関を出る時に母の目を見た。
いつもならば「行ってきます」と言ったきり、飛び出していくのだが、その時は、玄関から母の姿が見通せないと、母が出てくるまで三和土(たたき)で待った。
母はいつも、その空気を察して、家事の手を止めて顔を出し、僕の目をじっと見た。
「どうしたの、何かあったの」とか「学校に行きたくないの?」などとは、一言も言わない。
時間にして、ほんの1~2秒のことだが、僕はその目力に願を掛けるようにして、一歩目を踏み出した。
今も母は僕の目を見る。
なにも言わない。
それでいいのだ。見守ってくれていると思えるだけでいい。
あの時、話しかけられて、慰めの言葉をもらっていたら、僕はもっと弱い人間に育っていただろう。
あの日も、今も、強い目力で見つめる母の愛は変わっていない。
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