「思い」という言葉のブームが定着した経緯
2009年12月27日
自民党 谷垣禎一総裁
国民新党の亀井静香が天皇陛下に向かって「権力の象徴であった江戸城にお住まいになるのはお立場上ふさわしくない。京都か広島にお住まいになってはどうか」と提言したのを受けて、テレビ番組で発言。
「陛下はちょっと行ってくる、とおっしゃって東京に行ったままになっているが、京都にお帰りになっていただきたいという思いはある」
これは、かつて天皇陛下は「僥倖」として江戸に発たれたのであり、正式な遷都ではないという論に立脚した「思い」である。
現実に「東京は日本の首都ではない」誰もが東京が首都だと思っているが、それは「事実上の首都」である。
いずれにせよ「思い」という言葉をオブラート役に、ずいぶん「重い」ことを話すものだ。
いずれにせよ「思い」という言葉をオブラート役に、ずいぶん「重い」ことを話すものだ。
2010年3月9日
民主党 鳩山由紀夫首相
沖縄県の米軍普天間基地移設問題について
「命のかかわる話であればあるほど、当然、政府として首相として意思決定には覚悟をもって臨むべきだ。それが進退だとかどうだとかいう野党の思いに必ずしも乗る必要はない」
ついに他人の考えまで勝手に「思い」化してしまっている。
「思い」ブームは過ぎ「思い」が国民の言葉として定着したのである。
2010年5月4日
民主党 鳩山由紀夫首相
沖縄県の米軍基地について
「すべてを県外にということは、なかなか現実問題として難しいということに直面をしております。ぜひ、沖縄の皆様方にも、またご負担をお願いをしなければならないなと、その思いで、今日もまいった次第でもございます」
ここでは前言撤回の自己弁護として「思い」が使われているが、元々持っていた思いとは真逆の「思い」になっている。このようにものごとを曖昧にしたい時の常套句になったことがわかる。
僕はいつか「思い」という言葉への揺り戻しが起こると考えていた。
自分がそうであるように、この言葉への違和感がやがて、社会全体に広がると思っていたのだ。
しかし、現実は違っていた。
2011年3月
東日本大震災が起きた
人々はあまりにも残酷な現実に対して、婉曲に優しく考えを伝える必要に迫られた。
「思い」はその中核を成す言葉として必要になった。
もう誰も「思い」という言葉の危うさを論うことはできなくなった。
そして現在に至る。
だが、違和感は続いている。
本当の真実の前には、それに最もふさわしい言葉があるはずだ。
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