創刊号を捨てることにした
創刊号を捨て始めた
1980年代から1990年代にかけて、僕は「創刊号」にとてもこだわっていた。
用事もないのに本屋をのぞき、新しい雑誌が出ていると中身も確認せずにレジに進む。
読み終えると本棚の「創刊号コーナー」に立てておく。
そんなことをしても誰も褒めてくれないし、注目も集めない。
単なる自己満足なのだが、当時は「これが何ものかにつながる」という確信めいたものがあった。
そうでなければ、すべての創刊号を買ったりはしない。
やがて創刊ラッシュの時代は終わり、僕はこのコレクションが「何ものでもない」ことに気づき始めていた。
それでも名古屋から引っ越す時、迷わずすべての創刊号を段ボールに詰め込み東京へ送った。
東京に来てしばらく経った頃、本棚が手狭になり、本を減らす必要に迫られていた。
なにを減らそう?
オレは何を残したい?
そう問いかけた時「創刊号コーナー」は聖域となった。
いつか何ものかになるという確信はもうなくしていたが、当時始まっていたヤフオクが、処分をためらわせる。
創刊号という価値にプレミアがつくのではないか?
そう考えたのだ。
それから10数年、その考えも的外れだったとわかってきた。
時折「雑誌名 創刊号」でヤフオクを検索してみると、元値割れどころか、入札すらないことが当たり前。
創刊号に価値を感じる人が多少いたとしても、その数よりも、雑誌そのものの発行部数が大幅に上なのである。
そして今、僕は創刊号を捨て始めることにした。
ただ捨てるのは忍びないので、お別れにきちんと再読する。
何ものにもならなかったが、せめて、ここで誌名だけでも残したい。
「あちゃら」1996年12月
リクルート 480円
日本におけるインターネットは1995年に登場、流行が1996年に起こり、普及が1997年だったというのが持論だが、この誌面はそれを裏付けている。
いくつかのページを折り返している。
きっと「あとで再度チェックせよ」という意味なのだろうが、そのページにある記事のいったいどこに自分が反応したのかすら、わからない。
不定期でつづく
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