ホタル少年団に入れなかった(中編)
しつけが厳しい家に育った僕は(と言ってもこれが標準だと思うが)夕方の5時までには帰宅しなければならなかった。
その町には書道や珠算、絵画教室もあったが、学習塾はなかった。
従って、塾に行くために夕方から外出するような子どもは居ない。
近所の仲間と野球をやって、5時になったら家に帰る。
「僕はどうして親が決めたルールに従うのだろう」
と、疑念を感じたことはなかった。
それが、年に一度「ほたる祭り」の日に限り、夜間外出が許される。
盆地の町には似つかわしくない「越境入学」をしていた僕は、川を越えた隣り町からお祭り会場の広場までの2kmを歩いて会場に向かった。
越境で通っていた小学校には「ホタル少年団」という組織があった。
夏が近づき、ホタル・シーズン前になると、その秘密結社は結成される。
というのは嘘で、学校で公募される。
全校集会で「今年もホタル少年団を結成します。希望者は担任の先生に申し出るように」
といったふうに周知される。
その任務はというと、実はよく知らない。
(入ってないので)
ただ、仄聞によれば、ホタルの生態を観察したり、ホタルが生息する川べりを掃除していたようだ。
このホタルが現れる川は、今でもゲンジボタルが生息することで有名だ。
「町の南側を流れている」と先に書いたが、その後、川を渡った南側に「道の駅」などが整備されたため、今では町の真ん中を流れていることになる。
その川が右に90度曲がったところで、隣り町との境。
僕はその境の外、土手のそばに住んでいた。
川が曲がるということは、大雨の時には土手が切れる恐れがある。
僕が住んでいた場所は、昔はよく水につかったと聞いた。
だから、大雨が降って水面が上がると怖かった。
一度だけ、水面が土手の際まで上がった時などは、生きた心地がしなかった。
そして、その川を受け止める土手で僕はよくアンモナイトの化石を拾った。
掘るのではない。拾うのである。
川べりの土手には、よくアンモナイトが転がっていた。
一度に全部拾い尽くしたと思っていても、数日後にはまた落ちている。
誰かがアンモナイトを撒いているとは思えないし、不思議だったが、見つける度に拾って帰り、秘密基地に埋めているせんぺいの缶缶(山口ではこう言う)にため込んでいた。
大人になって、ふと気づいた時にはその缶缶は持っていなかったので、きっとアンモナイトに飽きて、どこかに捨てたのだろう。
数年後、佐世保玉屋で開かれていた化石展でその場所で出土(拾っただけだと思う)したというアンモナイトが展示されていた。
つづく
つづく
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