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2017年7月29日 (土)

写真週刊誌の雄、総合週刊誌の復権を宣言

週末になると、僕は創刊号を捨てる

「Emma」1985年6月25日
文藝春秋 250円

2017年の今「週刊文春」といえば、有名人は泣く子も黙る「文春砲」として週刊誌の王座に君臨している。
しかし、当時は総合週刊誌「冬の時代」
唯一、好調だったのは「女性のカラー写真^^;)」を多様した光文社「週刊宝石」
(1981年創刊→2001年休刊)
各社の総合誌は、写真週刊誌に押されて青息吐息だった。


そこで「週刊文春」擁する文藝春秋が創刊した「写真週刊誌」が「エンマ」である。
といっても「薄い」写真だけのものではなく「文字情報」も十分。
A4変形152ページは、ちょっと薄くて大きい「総合週刊誌」といえた。

表紙はモノクロの沢口靖子が誰かに流し目を送っている。

当時、この創刊号に掲載されたある写真にとても衝撃を受けた。
一度見たら、しばらく忘れられなかった。
しかし、そのことを誰にも言えない。
そして、今ここでも書けない。




「週刊テーミス」1989年6月28日
テーミス 230円

当時は各社から「写真週刊誌」が出そろい終えていた時期。
「写真」を多用しながら、記事のScoop性で勝負する週刊誌がテーミスだった。
創刊号には「ブッシュ大統領」「宇野宗佑(当時総理大臣)」「田中角栄」「安倍晋太郎」らの記事が並ぶ。

テーミスを立ち上げた編集長は、かつて「週刊現代」の編集長を務め「FRIday」を立ち上げた伊藤寿男。
「たけし軍団」の殴り込みに対峙した編集長だ。
伊藤は巻末のことばで「総合週刊誌」「文字情報」の復権を宣言している。


テーミスは2年後の1991年7月17日、通巻100号を最後に休刊(そのまま廃刊)となった。
価格は創刊後より20円アップの250円。
創刊号は写真週刊誌然とした「薄く」「写真が多い」ものだったが、100号は紙質を落とし、写真を減らし、いわゆる「総合週刊誌」に変貌していた。
事実上の最終号に「休刊の挨拶」はなく、それは突然の終焉だった。

その後、雑誌は「出版不況」で右肩下がり。
だが、2017年の今「文春砲」ということばが定着し「総合週刊誌」が息を吹き返している。

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